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2011年1月5日水曜日

小山登美夫談 キュレーターとは?美術館とは?

小山登美夫(こやま・とみお)
1963年、東京生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。西村画廊、白石コンテンポラリーアート勤務を経て、1996年に独立、佐賀町に小山登美夫ギャラリーを開廊。その後、新川を経て、2005年に現在の清澄白河に移転。2008年には京都に「小山登美夫ギャラリー京都」を開廊。菅木志雄、奈良美智、杉戸洋、落合多武、蜷川実花、シュテファン・バルケンホール、エルネスト・ネトほか国内外の多くのアーティストを扱う。著書に、『現代アートビジネス』『その絵、いくら?
現代アートの相場がわかる』『小山登美夫の何もしないプロデュース術』などがある。


欧米では誰も知らないような作家でも、一般の人たちが作品を観に来て「これ面白いね」と言って買っていく。自分たちにとって何が面白いかを判断することができる国民性というのが興味深かったです。
アメリカは新しいものしかない中で、自ら価値を決めなくてはならないのですが、日本の場合は誰かが価値を決めてくれるシステムを持っていたため、誰もが買うものを買っておけば一応安心、というのがあるんです。
当時27歳だった工藤麻紀子がロサンゼルスのギャラリーで個展をしたとき、ロサンゼルス現代美術館のキュレーター、ポール・シンメルが「これを買う」と言ったんです。まだ明確に価値の定まらない若い作家の作品を美術館が買うということが起こる

フランスなんか見てもわかるように、ポンピドゥー・センターなんかでも、どんどんやりたい企画やるけど失敗したら主任学芸員だって官僚の道からはずされるわけでしょ。そういう責任を負ってみんなやってる。でも、その期間は自分の好きなことができて、これだけいい展覧会をしたのだから自分の価値をおまえら認めろって言える。日本の人はそういうところもない。殺人でもしない限りは公務員として美術館にずうっといるわけでしょ。

アメリカの場合はね、キュレーターがお金を集めなくちゃいけない。お金持ちの人に寄付をもらわなくてはいけないので、そういうテクニックも必要になる。それはいい場合もあるし、悪い場合もあるけど、苦労しますよね。美術館のコレクションを充実させるために寄贈や寄付をつのったりする。でもキュレーターがいいって言ったものしか、美術館には遺贈できないから、おのずと価値は決まっていく。キュレーターの人たちが選べる立場にいるわけだからその価値を決めていく。需要と供給が発生してくるから周りの人たちもいっぱい買うようになるし、「権威」がちゃんといて、それがマーケットを作ることに加担してるよね。

作家を評価し、価値づけるのはどの国でも美術館。だが日本はそうではない。予算が少ないなら安価なこれからの現代アートを買えばいいのに買わない。キュレーターがその責任を回避しているように思えてなりません。世界的な美術館になるためには、独自の物差しで作品を評価する必要がある。権限責任とも大きいのが欧米のキュレーター。最終的には自分の美術館に寄贈してもらうために、美術市場のリーダー役となる有力コレクターのアドバイザーを務めることも少なくない。

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映画「ハーブ&ドロシー」。 郵便局員と図書館司書の夫婦が、貧しい給料の大半を使って好きなアート作品を買い集め、30年かかって世界屈指のコレクションとなったという実話ドキュメンタリー。
郵便局員のハーブと図書館司書ドロシーが作品を選ぶ基準はふたつだけ。
「自分たちのお給料で買える値段であること。」
「1LDKのアパートに収まるサイズであること。」

 妻ドロシーの給料で生活し、夫ハーブの給料で作品を買う。2人は1960年代、まだ評価が定まらないミニマルアートやコンセプチュアルアートに狙いをつけた。毎日多くの個展に足を運び、アーティストのスタジオを訪ねた。たくさんのアーティストが楽しげに2人を語る。「誰も見向きもしない時から熱心に見てくれたからつい安く売ってしまう」「地下鉄やタクシーで持ち帰れないものはほしがらない」などなど。
 コレクション自体が一つの作品であるかのように、2人は狭いアパートに集めた4千数百点ものアートを売ったことがない。多くの美術館から譲渡の申し込みがあったコレクションを寄贈されたナショナルギャラリーは、「緊急時に2人が作品を売らなくてもいいように」謝礼を支払ったが、夫妻はギャラリーに還元すべくその金でも作品を買ったという。

「本がたくさん並ぶ中から、好きなものを見つけて買ったり借りたりできる喜びは当たり前のことではない」

「本は手渡してくれる人が必要」

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