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2010年6月13日日曜日

『民主主義理論の現在』

イアン・シャピロ 著
中道 寿一 訳

四六判/上製/280頁
初版年月日:2010/03/31
ISBN:978-4-7664-1722-7
定価:3,360円
慶應義塾大学出版会株式会社

マキァヴェリ、ルソー、マディソンからフーコー、シュンペーター、ダール、ドウォーキンらまでを俯瞰し、分裂した現代社会にふさわしい政治理論の再構築を試みた、現代アメリカ政治理論の重鎮の重要著作、待望の本邦初訳登場。
▼「権力と民主主義」「熟議民主主義ははたして有効か?」「司法の力はどのように利用されるべきか」などさまざまな課題に対し、シャピロは分裂した現代社会に有効な民主主義のかたちを提示しようとする。

目次

序 文

序 章

第1章 共通善
 第1節 共通善の集約的概念
 第2節 共通善に関する熟議的概念
 第3節 理想的状況下での熟議?

第2章 支配か熟議か
 第1節 権力論
 第2節 インサイダーの知恵と上位の善
 第3節 熟議による支配の制限
 第4節 熟議対交渉

第3章 権力と民主的競争
 第1節 支配を制限するための権力構成
 第2節 シュンペーター的競争
 第3節 司法審査の役割とは何か
 第4節 裁判所と中庸的立場

第4章 民主主義の実現と維持
 第1節 民主主義への移行と定着
 第2節 集団権の規範的防御

第5章 民主主義と分配
 第1節 供給サイド
 第2節 需要サイド
 第3節 分配形式の効果
 第4節 民主主義と分配の意味

第6章 民主主義理論の現状を再考する

訳者あとがき
参考文献
索引

イアン・シャピロ『民主主義論の現在』の意義について
(訳者あとがきより)


中道 寿一
北九州市立大学法学部教授

 本書は、イアン・シャピロの著書としては初めての邦訳であるが、すでに、1990年8月にサンフランシスコで開催されたアメリカ政治学会での報告「民主主義者である三つの方法」("Three
ways to be a democrat." Annual meeting of the American Science
Association in San Francisco, California, August
1989)の邦訳がある(岡本仁宏「〈資料〉イアン・シャピロ『民主主義者である三つの方法』—翻訳と紹介」)。その「紹介」においても指摘されているように、「民主的アリストテレス主義」に基づくシャピロの論述スタイルは極めて「論争的」であり、その定式化は「明快かつラディカル」である。(中略)

 本書は、そもそも民主主義は何を目的としているのかという、民主主義の基本目的の再概念化を試みたものである。著者によれば、民主主義とは、「支配を極小化するために権力関係をうまくコントロールする手段である」と述べているように、共通善、一般意思の表明を目的とするというよりも、支配の制限ないし極小化を目的とすべきものなのである。したがって、本書の目的は、「民主主義理論の現状を、民主政治の現実的な運用に即して再評価すること」であり、本書の視点は、具体的な制度や体制の構想(デザイン)にある。しかも、支配および権力の制限ないし極小化は、特定の状況において弱く傷つきやすい人々に利益をもたらす限りにおいて意義があるということを前提としている。したがって著者は、民主主義の規範理論や民主化に関する経験的研究、権力の本質に関する議論を駆使しながら、民主主義を、権力から切り離された真空状態においてとらえるのではなく、ヒエラルヒーや権力不均衡という現実の権力関係の中においてとらえるべきだとする。すなわち、現実の権力関係をどのようにコントロールすれば支配を極小化することができるかということについて考察を進めている。

 その一つとして、しばしば批判の対象となるシュンペーターの代議制(エリート主義的)民主主義論を、政治的合意ではなく政治的競争という視点から、再評価する。また、今日盛んに議論されている熟議民主主義に関して現実主義的洞察を行っている。たしかに熟議は、弱く傷つきやすい人々を守るために必要であり重要であるが、現実の権力関係が熟議にどのような影響をもたらしているかということや、熟議が合意ではなく不一致や深い亀裂をもたらしていることも考慮に入れるべきであると主張して、熟議民主主義に対して一定の距離をおいている。さらに、著者は、弱い人びとの声を強めるためにも、司法的チェックが必要であると主張する。ただし、ここで言う司法的チェックとは、民主主義の行き過ぎに対する自由主義的なチェックではなく、「民主主義の自動制御的性格」として捉えられるべきチェックである。すなわち、司法的チェックは、ここでは、民主的プロセスにおいて生じる支配を阻止したり改善したりすることへの積極的参加として捉えられる。そして、最後に著者は、深い文化的亀裂のある政治的共同体において民主主義を維持できるかどうかという問題についても重要な議論を提供している。すなわち、「多極共存型民主主義」(レイプハルト)論についてさまざまな角度から検討を加えながら、分裂した社会における「選挙競争」や「区画横断的な連合形成」を可能にする民主的な制度設計(デザイン)について論究している。(後略)



イアン・シャピロ
(Ian Shapiro)
1956年生。1983年イエール大学で政治学博士号取得、1985年レオ・シュトラウス賞受賞、1987年イエール大学ロースクールで法学博士号取得。現在、イエール大学政治学部
Sterling Professor、同大学マクミラン国際地域学センター所長。
主要著作:
The Real World of Democratic Theory(Princeton UP, 近刊)、Containment:
Rebuilding a Strategy against Global Terror(Princeton UP, 2007), The
Flight from Reality in the Human Sciences(Princeton UP, 2005),
Democratic Justice(Yale UP, 1999), Democracy's Place(Cornell UP, 1996)


中道 寿一
(なかみち ひさかず)
1947年生。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。
法学博士。現在、北九州市立大学法学部教授。
主要著作
『カール・シュミット再考』(ミネルヴァ書房、2009年)、『政治思想のデッサン』(ミネルヴァ書房、2006年)、『現代デモクラシー論のトポグラフィー』(日本経済評論社、2003年)ほか多数。

『ディドロ限界の思考 小説に関する試論』

ディドロ 限界の思考
 小説に関する試論
田口卓臣 著
●ISBNコード 978-4-7599-1761-1
●判型 A5
●ページ数 310頁
●発行年月日 2009-11-30
●価格 7,875円(本体 7,500円)
出版 : 風間書房

▼解説
18世紀フランスを代表する思想家、ドニ・ディドロの小説に関する日本で初めての本格的な研究書。傑作『運命論者ジャックとその主人』の訳者による長年の研究成果をまとめた本書は、フィクションを介して人間の限界の認識を表現するディドロ独自の方法を丹念にあぶりだすことによって、誤解と偏見にあふれた「啓蒙主義」のイメージを一掃する野心作でもある。

【著者略歴】
田口卓臣(たぐち たくみ)
1973年生。2007年東京大学大学院博士後期課程修了、博士(文学)。
現在、宇都宮大学専任講師(フランス文学・思想)。

▼目次詳細
序 文
第一部 小説の方法
 �章 特権的な話者の不在
  1:一方向的な語り
     『修道女』 不在の読者へのよびかけ
     『ブルボンヌの二人の友』 相対化されつづける証言
  2:双方向的な語り
     『ラモーの甥』 対話者間の葛藤
     『これは作り話ではない』 聴き手に邪魔される語り手
  3:重層的な語り
     『ド・ラ・カルリエール夫人』 世間の一員としての語り手
     『ブーガンヴィル航海記補遺』 転倒につぐ転倒
 �章 作品世界の俯瞰不能性
  1:物語の予測不能性
     唐突な始まり—コント三部作の冒頭
     アクシデントの連続—『ある父とその子どもたちの対話』を中心に
     終わりの宙吊り—『ミスティフィカシオン』を中心に
  2:翻訳と欠落
     『おしゃべりな宝石たち』 「原典」から遠く離れて
     『ブーガンヴィル航海記補遺』 「自然」の成形の不可避性
 �章 『運命論者ジャックとその主人』
  1:証言とその主体
     方法としての多声性
     あらゆる話者の限界
  2:不可知なものの明示
     「運命」としての物語、その不可知性
     決定的な「原典」の不在、物語の欠落・断片化
第二部 個としての人間
 �章 認識、判断、その限界
  1:全知の不可能性
     「水星の周転円の上」、「みじめな学問」—『ラモーの甥』における二つの比喩
     戦場のなかの個—『運命論者ジャックとその主人』におけるある描写の場面
     「仮説」を壊す「実験」—『おしゃべりな宝石たち』第一巻・第二十九章のアレゴリー
  2:認識、判断、その決定不能性
     記号の解釈の分裂—馬の「お告げ」と「葬列」の意味
     善悪の決定不能性—グッスの人物像を中心に
 �章 意志、統御、その限界
  1:意志、統御、その限界
     自由意志の否定—ジャックの召使遍歴
     意図と結果の齟齬—宿屋の「おかみ」とタニエ
     言葉と行動の齟齬—ジャックとセネカ
     意識と身体—デブロッスの証言
  2:誘惑、陰謀、その帰結
     「私」、グッス、ド・サンフロランタン家の執事、ユドソン
     ド・ラ・ポムレー夫人とド・サントゥアン騎士
     ジュザンヌ
 �章 懐疑と肯定
  1:懐疑と肯定
     ビュリダンの驢馬の不可能性—『ダランベールの夢』の一節
     懐疑と次善の選択—『哲学断想』と『ある父とその子どもたちの対話』
     「後世」にむけて—『ド・ラ・カルリエール夫人』と『運命論者ジャックとその主人』における矯正可能性のテーマ
  2:この世界の肯定
     運命論による自己解放
     この世界の肯定
     交換不能な個の生成—ジャック、デロシュ、フェリックス
第三部 個と共同体
 �章 性愛と一夫一婦制
  1:可変性の原理
     絶えざる生成変化—『盲人に関する書簡』におけるソーンダーソンの世界観
     「雲」、「霧」、ラモー
  2:性愛の逆説
     性愛の可変性—『運命論者ジャックとその主人』の一節、『これは作り話ではない』におけるガルドゥイユの発言
     貞節、嫉妬、その不可避性
  3:一夫一婦制の不可能性と不可避性
     出会い、結婚、その破錠—コント三部作、『運命論者ジャックとその主人』
     一夫一婦制の外見と内実—『おしゃべりな宝石たち』
     一夫一婦制の心理的・政治的機能—『ブーガンヴィル航海記補遺』
     一夫一婦制の不可避性—「三つの法典」の分析を中心に
 �章 一夫一婦制のオルタナティヴとその限界
  1:優学生とその破錠—ユートピア批判としての『ブーガンヴィル航海記補遺』
  2:「みんな」に攻囲される「私」—監獄批判としての『修道女』
     監獄としての修道院
     監視、処罰、スペクタクル
     遍在する監視網
     逸脱する「私」、その生理と戦略
  3:無法者たち、その友愛の共同体—マンドランの一党、ブルボンヌの密輸入
  補論:規範からの逸脱
     「酵母」としてのラモー
     通り、街道、宿屋—コードなき旅人たちの空間
     哲学者(フイロゾフ)、あらゆるものの批判者
結 論
  1:本研究の成果
  2:本研究の限界と今後の展望


参考文献
あとがき

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