わたしたちが目の前にする自然、あるいは対象物の実体とはいったいどのように捉えたらよいのか。こうした問題意識がせり上がってきた一八世紀から一九世紀に、どのような知の変動が起こったのか。ニュートンによる近代科学の誕生、博物学による帰納法的観察記録、あるいは新しい科学的眼差しを持った旅行家や探検家による風景の発見、そして観察そのものをアートへと位置づけることなどが、相互に共鳴しリンクしながら、ひとことでいえば「視覚革命」が引き起こされていく。そうした知の変動の姿を、自然の観相学を中心的主題として描き出す。
いつもながらスタフォードの博覧博読を背景にした記述には、目眩を覚える。また、この間、スタフォードの著書を翻訳し続けてきた高山宏氏の知の強度と深度にもただただ敬服してしまう。かつて、ヴァルター・ベンヤミンが、翻訳とは、「ひとつの器のかけらを組み合わせる」作業であり、「愛をもって細部に至るまで、原作のもっている思考する仕方を己の言語のなかに形成」することなのだと述べているが、高山氏の翻訳は、ベンヤミンのその指摘を想起させる。
本書が主題とする一八世紀、イギリスでは、ウイリアム・ギルピンがピクチャレスクな風景を求めて、人々をつれだててツアーをたびたび行っていたことはよく知られている。「絵画のような風景を求める」ピクチャレスク美学による風景への旅は、それまでの自然を感覚的に捉える、あるいはイリュージョンに対応させる眼差しから、外界に実在を求めようとする眼差しへの転換点にもなった。それは、旅へと人々を誘いはしたが、その眼差しへの反発もまた同時に引き起こし、自然現象をそのまま捉えることへの関心が広がっていったからだ。してみれば、ピクチャレスク美学による旅は、その限界とともに、次なる実体への旅を用意していたのだともいえるだろう。スタフォードは、知の連続と断層を丹念に読み込んでいく。
一八世紀の眼差しの変容は、絵画や作庭にとどまらず、さまざまな領域にみられるものとなっていた。たとえば、リンネやビュフォンあるいは彼らの後継者による博物学(ナチュラル・ヒストリー)の研究は、自然の実体へと向かおうとしていた。それは、動植物あるいは鉱物などを探求するだけではなく、場所のドキュメンテーションと結びつき、自然を求める旅行を生み出していく。
そして、ビーグル号でのダーウィンの旅行、あるいはピーター・クックの旅行はもちろん、多くの「博物誌」「旅行記」が出現する。命がけの旅行や探検ではあるけれど、にもかかわらず、うつろう実体としての自然現象を捉えることへの欲望のほうがはるかに増していた。その結果、自然界の生物だけではなく、ヒマラヤやチベットあるいは砂漠、人間の手が入らなかった自然が生み出した暗い洞穴など無数の風景が発見されていく。そしてそれを記述する文書やイラストレーションも、できるだけ実体にせまろうとする。
とはいえ、面白いのは、かつての幻想的な風景画によって描かれていた、目に見えないものを実体がないとして、それを描くことに対する批判は、しかし同時に、ニュートンの言説によって、すぐに覆されてしまう。磁気やガスや空気といったものの実体が自然現象を生み出していることがたちまち知られるからだ。もちろん、それは気象学などへとリンクしていく。ともあれ、実体として可触できないものを表象することも同時に追求されることになる。
こうした眼差しの変化は、個々の現象として捉えることで、その向こう側に存在する本質あるいは実体へと到達するのではないかという希望に支えられている。自然の観相学である。物象としての顔からどれほどのことが解読できるのかということだ。
この自然探求の作業は、視覚(知覚)をとおして得られた情報をいかに体系化し秩序化(構造化)することができるのかということが、観察者に投げ返されることになる。したがって、それは近代的主体の認識論あるいは存在論に結びつく。つまり、対象としての自然現象のうつろいと同時に、それを構造化しようとする主体の知覚、精神の構造化が問題となってくる。
スタフォードは、一八世紀から一九世紀に引き起こされた視覚革命の連鎖を、このように歴史的つながりと共時的つながりの中で、ダイナミックに描いていく。神学的な真実ではなくうつろいやすい現象の中に実体を求めようとしはじめた近代の眼差しの出現の場面を、多様かつ膨大な資料体を駆使して浮かび上がらせる凄みをもった作品である。
一八世紀の視覚の変容に関しては、すでにミシェル・フーコーの『臨床医学の誕生』において指摘、分析が行われているが、スタフォードはもちろん、フーコーの議論もふまえながら、さらに具体的な視覚表現から自然誌や旅行記の中に、その事態を解読し、フーコーのいう断層だけではなく、劣性遺伝的連続性にも目をむけている。
余談ではあるが、資料体として引用されたフンボルトのテクストの中で、メキシコの「玄武岩」についてふれられている場面で、ふと、志賀重昂の『日本風景論』を想い起こしてしまった。「蓋し玄武岩たる純然たる火山の噴出物、其の初め溶岩の流液は火口より噴出せられ、ひとたび出でて空気の冷却なるに触れ、……表面に亀裂を生じ、六角体を化成す」。一九世紀末に書かれたこのテクストの記述もまた、スタフォードがいうところの実体への旅を背景にしており、日本においての新たな旅行を準備した。
このような記述方法もふくめて、眼差しの変化は描写の方法など「方法論」の領域に確認しうるとスタフォードは述べている。
(デザイン評論家)