フォーサイト 2011年2月25日(金)18時15分配信
東京大学先端科学技術研究センター准教授・池内恵 Ikeuchi Satoshi
「中東—危機の震源を読む(72)」より
http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/rcast/newsletter/
Foresight(フォーサイト)|国際情報サイト
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エジプトの政権崩壊によって雪崩を打って波及する中東の激動は、まずペルシア湾岸のアラブ産油国の中で最も脆弱な君主制国家であるバーレーンに及んだ。首都マナーマ中心部の「真珠広場」を、エジプト革命の中心部となったタハリール広場になぞらえて集結したデモに対して、バーレーン政府は2月16日深夜から17日にかけて、治安部隊の実弾射撃で弾圧した。さらに治安を安定させるという名目で軍の戦車部隊まで首都中心部に展開し、鉄の弾圧を実行した。しかしこれはバーレーンの金融センターとしての信用を決定的に傷つける手法だった。
インターネットによって弾圧が動画で中継・録画され広まっていく現代においては、公開の場での弾圧は政権にとっては自傷行為に等しい。国際的非難を受けたバーレーン政府は治安部隊を撤退させ、真珠広場は反政府抗議行動の場として定着した。2月22日のデモには10万人が集まった。バーレーンの国籍保持者は約50万人だが、そのうち5人に1人が集まるという極端な状態である。
バーレーン王制の急激な崩壊は、同国に海軍第5艦隊の本拠地を置き、対イランの前哨地点としている米国にとっては極めて不都合である。隣国サウジアラビアにとっては、最大の石油産出地域の東部州に隣接するバーレーンの動揺は、東部州の多数を占めるシーア派少数派への影響からも看過しえない。バーレーンは当面、サウジの軍事的・経済的支援によるいわば「生命維持装置」付きで辛うじて存続する状態となるだろうが、スンナ派のハリーファ王家が、人口の70%の多数を占めるシーア派を差別的に支配する政策を改め、王族の政治的・経済的権限を大幅に割譲する改革を自らの手で実行できるか否かは、極めて不透明である。
イエメンでは2月18日を「怒りの金曜日」として反政府抗議行動が激化しているが、サーレハ大統領は2月2日の次期大統領選挙不出馬と世襲否定以来、追加の妥協をせず、むしろデモ非難を強め、部族勢力の支持を集めようとしており、デモと政権の対決が部族間対立に転化しかねない危険を秘める。
■ほとんど内戦状態のリビア
そして北アフリカでは、リビアがほとんど内戦状態である。リビアはエジプトのナセル体制に感化されたカダフィ率いる青年将校が王制を打倒して1969年に設立した後発のアラブ共和制の体制であり、産油国でもあるが、奇矯な支配者カダフィの一家による専横は目に余り、不満は限界に達していたものと見られる。
2月17日を「怒りの日」と設定して勃発したデモは、東部キレナイカ地方の諸都市で中央政府の統制を断ち切り、20日には首都トリポリに及んだ。カダフィ政権による弾圧は治安部隊による対応の域を越えて、戦闘機や戦闘用ヘリコプター、ロケット弾まで用いた軍事力の行使に及んでいると見られる。2月24日の段階で既に中央政府の統治が及ぶ範囲は首都トリポリの中央に限られているようだ。1つの焦点は西部と東部に跨る、リビアの石油生産の77%を占めるスィドラ湾付近の一連の油田(As
Sidra, Marsa el Brega, Ras Lanuf, Zuetina,
Tobruk等)を、どの勢力が押さえるかだが、これらの油田の多くを押さえる複数の石油会社の要員が、中央政府からの離反を表明した。内務大臣や法務大臣、主要国大使、東部のトブルクの軍司令官といった、政権の中枢の要人からも離反が出ている。英国・米国はじめ、近年に回復した国際関係の多くを喪失したため、カダフィ政権の中・長期的な存続は極めて困難な情勢である。
カダフィは周辺を傭兵を含む私兵で固めているとされ、そう簡単に造反や暗殺などには遭わないだろう。カダフィの護衛隊は、しばし国際会議の場ですら暴行に及ぶことで悪名高い。彼らはカダフィを差し出すぐらいでは国民から助命されないと覚悟し、徹底抗戦するだろう。またエジプトのように軍がまとまってカダフィに辞任要求を突きつける状況にも、ましてやそれをカダフィが受け入れる蓋然性もない。そうなると、徹底抗戦しつつ、隙を見て亡命といった道筋が考えられるが、カダフィの亡命を受け入れる国は限られる。一部報道では、22日にカダフィの5男ハンニバルの嫁を乗せた飛行機がベイルート空港で、23日にカダフィの娘アーイシャを乗せた飛行機がマルタで、着陸を拒否されて引き返したという報道もあった。後にアーイシャは国営テレビで脱出を試みたことを否定している。
そもそも言動が不規則で、マフィアやテロ組織や無法者集団とつながりを持つカダフィの存在は、受け入れ国側に重大な治安上の不安をもたらしかねない。裁判も処刑もできずに長期間カダフィ一家とその取り巻きを抱え込むという事態を容認する可能性がある国は、これまでにカダフィが資金供与をして手なずけてきたアフリカ諸国を中心に、一部の発展途上地域しかあり得ない。
むしろ国よりも、反政府組織などにかくまわれる可能性の方がまだ高いかもしれない。22日のテレビ演説で「殉教するまで戦う」と絶叫したカダフィだが、数日姿を現さなくなれば亡命説が浮上するだろう。すでに英国のヘイグ外相は21日、カダフィのベネズエラ亡命説を報道陣に流し、後に否定するという失態を演じた。
カダフィが血の弾圧でトリポリを死守したとしても、東西分裂で内戦あるいは膠着状態となるため、カダフィ側の国際社会への復帰は困難である。紛争激化によってリビア産原油の産出が減り、世界の原油市場は高騰している。同様の石油産出減がアルジェリア、そしてサウジアラビアなどに及べば、影響は計り知れない。
西部のトリポリ近郊の油田をカダフィが傘下に収め続ける場合、どこの国がその石油を買うのか、その資金で内戦がどう発展するのか、問題になるだろう。アフリカの内戦・紛争では「血のダイヤモンド」が問題になったが、ここでは「血の石油」となるのだろうか。
■サウジが揺らぐ可能性も
アラブ世界の状況は、すでに決定的に変化している。生じている現象の中核部分は単純である。要するに「デモをして政府批判をしただけで射殺されるのはおかしい」という当然の人権意識が、アラブ世界の新世代に育っていたということである。エジプトの革命の過程で、衛星テレビ、インターネットやツイッターで18日間にわたり発信された膨大なスローガンは、各国の新世代の政治意識に具体的な言葉を与えた。数十万人単位でデモを動員することが、政権崩壊につながるという実例をチュニジアとエジプトで「見てしまった」ことは、アラブ政治を質的に変えた。
かつてであれば、治安部隊による弾圧をほのめかすだけで国民は黙っただろう。しかし現在はむしろ逆で、国民を撃ってしまうことこそが、政権の権威と正統性を決定的に損なう。国民が批判を公然と口にするだけで、政権存亡の危機と受け取ってしまう政権は、しょせんそれだけの基盤しかない、という現実が露わにされつつある。政権にとっては勝ち目のないチキンゲームを強いられる状況が当面続く。
サウジアラビアは先手を打って、公務員給与の引き上げ、住宅・結婚・起業への超低利融資の大幅増額など、巨大なばらまき策を発表した。
アブドッラー国王は昨年11月にニューヨークへ出国し、2度の手術を経て、モロッコで療養中だったが、急遽帰国した。その際、バーレーンのハマド国王はサウジのアブドッラー国王をリヤードの空港で迎え、両国の宗主国・従属国としての関係がはっきりした。しかしもちろんサウジとて盤石ではない。富裕国であるはずのサウジに、実は貧困層とスラムがあることが、ここ2年ほど、サウジのメディアでさえちらほら報じられるようになっており、国王が気を配っていることを示さねばならないほど、深刻になりかけていることが想像される。貧困の問題と地域間格差や宗派間差別、そして初代アブドルアジーズ国王の孫世代に王位を継承する過程での対立が結びつけば、サウジも揺らぎかねない。
サウジは1950年代から60年代初頭に、エジプトのナセルら自由将校団が称揚したアラブ民族主義の波を受けた。その時は、西洋化志向のリベラル派王族が出現し、王族間に亀裂が生じかけた。しかし伝統派が米国の支援を受け、リベラル派を退けた。立憲君主制への改革を唱えた「自由プリンス」の代表格タラール・ビン・アブドルアジーズ王子は政治から排除され、社会事業に専念した。その息子ワリード・ビン・タラールが、世界有数の富豪・投資家として知られる。サウジが揺らいだ時、イスラーム主義過激派やシーア派少数派を軸とした混乱シナリオがまず危惧されるが、グローバル経済に目を開いた「経済系王族」と、ジェッダを中心とした経済・文化活動で先進的なヒジャーズ地方が、前向きな改革要求で結びつくようになれば、新たな展開が生じるかもしれない。しかしこれはかなり先の話になる。
アルジェリアでは、ブーテフリカ大統領が2月3日に、19年間続いてきた非常事態令の解除を表明し、2月23日に内閣が実際に非常事態令を解除した。しかしこれらの施策で国民の不満が収まりデモの圧力が打ち止めになるとは、到底思えない。
■体制の「壊れ方」を左右する4つの論点
現象を巨視的に見れば、あたかもグローバル・メディア上に「政治市場」が成立し、「政治リスク」の高い国家が順にアタックを受けて価値が暴落しているような状態である。「リスク」要因とされるのは、(1)経済的自由化に政治的自由化が伴っておらず、(2)世代・階層・宗派・民族・部族等による社会・経済的断層が深まっている、といった点だろうか。
アラブ諸国では(1)と(2)はほぼすべての国が抱え込んだ問題である。エジプト政変の実例を克明に観察したアラブ諸国では、インターネットで口火を切って大規模なデモを行ない政権の打倒を最初から要求に掲げて圧力をかける抗議行動は、すでに各国の政治プロセスの最重要の要素として定着したと考えていい。今後しばらくの間、アラブ諸国の政治は、大規模デモを軸として、その圧力が社会と政治のどの断層に亀裂を生じさせるか、体制が崩れるなら「どちらの方向に」崩れるかが焦点となる。すなわち求心力のある民衆勢力が生じてとりあえず国民社会の統合が維持されるか、国民社会の中の宗派・民族・部族等の分断が進み相互の紛争に至るかの、分かれ目である。
そして多くの国で権威主義的・専制的な現体制が大幅な改革あるいは退陣を迫られる場合、新たな安定への移行過程と、新体制の受け皿がどこにあるのか、各国の中で、そして米国はじめ国際社会が、必死に模索する時期に入る。
各国の政権に大規模デモの圧力がかかった時、政権はどう反応するか。そもそもデモはどのように結集し、何を標的として、どのような手段で抗議を行なうのか。そして政権が回復不能なほどのダメージを受けるか、あるいは崩壊した後に、統治主体の役割を誰が引き受け、どのように統治するのか。
これらは、各国の政治・経済・社会状況によって異なるに違いない。必ずしも、エジプトやチュニジアと同じようにはならないだろう。ただし、最も厚みがあり文化的主導性があり、社会の「地力」というべき安定的基盤がある(と筆者は信じる)エジプトでの移行プロセスは、各国がやがては取り入れていく「モデル」となり得るので、注目が必要だ。
体制の「壊れ方」そして移行過程とその帰結を左右するカギとなるのは、次の4点であると考えている。
(1)中間層の厚みと成熟度
(2)国民統合の度合い
(3)政軍関係のあり方
(4)米国や国際社会との関係
(1)中間層の厚みと成熟度 政権に対する異議申し立てが、的確に秩序だって行なわれるか否かは、中間層の存在に由来するところが大きいと思われる。
ここで中間層として想定する人たちは次のようなイメージである。大学卒業以上の、ある程度高度な教育を受け、技術者や会計士や弁護士、ジャーナリストといった専門的職能を持つ。企業や官庁で給与を受けて生活し、活字媒体やインターネットによって外部世界との情報のやり取りもある。
そしてこの階層が一定の政治意識を持ち、市民社会の諸団体が組織され、活発な議論を交わすメディアが存在する場合は、政治的民主化の担い手となり得る。これを言いかえれば、中間層が存在するにもかかわらず、政治参加の回路が開かれていない場合は、政権に対する不満がどこか別の経路で、すなわち反体制抗議行動のデモとして表出される可能性が高まるということである。
エジプトはこの中間層の発達と成熟という点で、アラブ世界で最も進んでいると思われる。これは伝統的にエジプトが持つアラブ世界の中での文化的な主導性に由来するものの、中間層による市民社会活動への支援は、米国のセカンド・トラック外交(政府以外の主体による外交)の主要な要素でもあり続けてきており、エジプトでの革命は、米国の「草の根民主化」支援の成果と解釈することもできる(それを陰謀論的に理解するのは短絡だが)。
それに対して、湾岸の産油国や、リビア、イエメンなどで同様の中間層は育っているだろうか。ここには一定の疑問符が付く。バーレーンやリビア、そしてサウジアラビアのような産油国では、収入面では中間層に属す層は厚いものの、石油収入のばらまきに浴しているだけという性質もあり、教育や文化的な質の高い中間層であるかどうか、疑問がある。ただし中間層の成熟がここ数年で進んだという可能性は否定できない。急激な人口増加と世代交代が、社会の内実を変えている可能性もあるからだ。反政府抗議行動が、新たな年代・階層の台頭に裏打ちされたものであれば、長期的には安定する新体制確立に向けた真の「革命」となるだろう。現在起きている変化がそこまでの深い根拠を持ったものなのか否かは、リビアやバーレーンで高揚したデモ・抗議運動の今後の展開によって、明らかになる。
イエメンは1人当たりGDP(国内総生産)も950ドル程度と低く、国民の4割以上が1日2ドル以下で暮らす貧困層である。インターネットへの接続ができるのも国民の10%程度と見られており、エジプトや湾岸産油国と同等の社会条件があるとは考えにくい。しかしイエメンでは、チュニジアとエジプトの例から急速に学習しつつあり、タワックル・カルマン(Tawakkul
Karman)のような、既存の野党・反体制勢力とは異なる、市民社会運動に根差した人物が反政府抗議行動の指導者として頭角を現している。
すなわち、つい近年までの状況では、必ずしもこれらの国で中間層が拡大して成熟しているとはみなされていなかったが、慎重に事態の進展を見詰めながら、その認識を改める必要もあるかもしれない、というのが適切な現状認識だろう。新体制への受け皿作りの過程で、中間層の成熟が促進される(あるいは分裂して崩壊する)という展開も考えられる。いずれにせよ、各国で今すぐに現政権にとって代わる指導層が輩出する受け皿が存在するとは、前提にしない方が良い。
(2)国民統合の度合い 中間層の存在と密接に関係しているのは、国民統合の度合いである。地域や民族、部族や宗教・宗派によって社会が分断され、共通の国民意識と求心力が存在しない場合、デモの勃発が政権を揺るがし統制が緩んだ場合、「政権対国民」というきれいな対立図式に発展せず、地域や部族や宗教・宗派単位で分裂した「国民対国民」の内戦的状態に陥りかねない。
エジプトの場合は、エジプト国民としてのナショナリズムが以前から定着しており、部族的紐帯の影響力は、シナイ半島など辺境地域を除いて弱い。今回のデモではそれが大いに称揚された。エジプト・ナショナリズムに結集することで、年代・階層を越えた団結がなされ、政権打倒後も一定の自生的秩序が保たれている。デモに対する暴徒の暴力や、一時横行した略奪も、むしろ政府側が行なったものとして理解されている。
人口の1割程度のコプト教徒が宗教的少数派として存在し、その身分には不安定や差別の要素もあり、今年の新年のアレクサンドリアの爆弾テロで、宗教共同体間の紛争激化が危惧されていたところでもあった。しかし今のところ、エジプトのイスラーム教徒とキリスト教徒はムバーラク政権という「共通の敵」に対抗する「エジプト国民」として協調した。これは1919年や1952年の革命においてもみられた現象である。
この条件が、まさにバーレーンでは欠けており、人口の7割を占めながら従属的地位に置かれ疎外されたシーア派の感情がデモを覆っている。弾圧による死者を悼む声は「フセインよ!
フセインよ!」という、スンナ派による弾圧で倒れたイマーム(預言者ムハンマドの血を引くシーア派の宗教指導者)の名を叫ぶものだった。宗派による社会の分断のラインに沿ってデモが生じている要素があり、政権批判が宗派間対立をもたらしかねない危険性がある。
中東諸国に走る社会的亀裂——リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか(3/3)
フォーサイト 2月25日(金)18時20分配信
リビアではデモはまず東部キレナイカ地方で広がった。デモが一致した国民意識に基づくものなのか、地域間対立や部族間対立に主に根ざすものなのかは、現在のところは判定し難い。従来の認識では、リビアは部族と地域による断層が深く、カダフィ一家こそがそれらの異なる勢力を巧みに分割統治してきたものと考えられてきた。いかに奇矯で不道徳な一家であっても、リビアを分裂させず安定させ、石油輸出を絶やさない、ということでカダフィ政権は英国・イタリアをはじめとした西欧・米国から黙認され、最近は珍重されてきた。
イエメンの場合も、1990年に統一した南部の再分離・独立運動や、部族による分断が、デモで政権が揺れる中で顔を覗かせている。
ただしこのような部族・宗派・地域による内戦の危険性は、中間層の拡大と成熟次第では緩和されるものであり、一定程度割り引いて考えておく必要もある。カダフィの次男サイフルイスラーム・カダフィは2月20日のテレビ演説で、まさに、エジプトとは違って、リビアではデモで政権が崩壊すれば部族間の内戦になるだけだ、と警告した。これは国民と国際社会に対する「内戦シナリオ」による脅しであり、政権が自らの有用性を主張するための言説に過ぎない可能性がある。ベンガジはじめ東部で発生した内乱が西部とトリポリに及んで国民が解放され独立する、というリビアの建国神話をなぞって各勢力が糾合していくか、あるいは東西の地域間対立が全面に出るか、進展は予断を許さない。現在は反乱軍が西部の多くの都市を制圧し、24日にはトリポリのさらに西に位置する都市アッ=ザーウィヤで激しい攻防戦が行なわれていると報じられているが、これが国土の統一をもたらす戦闘の一環なのか、果てしない局地戦の始まりなのか、現時点では判断し難い。個別の部族の武装勢力間の入り乱れた紛争に発展すれば、カダフィ政権に歯向かって国外追放されていたイスラーム主義過激派の流入・展開にも注意しなければならない。
地域や宗派や部族による社会的亀裂を越えたナショナリズムへの統合が進むか否かが、各国の反体制抗議運動の今後の展開を見る上での重要なポイントであることは疑いを容れない。
(3)政軍関係のあり方 政権が大規模デモによって崩壊の危機に瀕し、退陣要求を退けるには国民に銃を向けるしかないという状況に追い込まれた時、軍がどう動くかが事態の帰趨を決定づける重要な要因であることは、チュニジア、エジプトのいずれでも明らかになった。政軍関係の重要性は、その他の国の今後の展開でも、同様に重要になってくるだろう。
エジプトの場合、軍は理念の上でも、実態でも「国民軍」としての性質がある。将校クラスはエリートの士官学校を出た秀才で、末端の兵士は各地から徴兵されてくる。1952年の自由将校団クーデタを担ったのは当時の新興中間層で、地方の名望家の出身者が多かった。土着の中間階層が、外来の貴族階層を放逐して打ち立てた現体制の中核で、軍はエジプト社会に根を下ろしている。
この条件は多くの国で当てはまらない。湾岸産油国では軍は「政権の軍」であり、支配部族の兵力という根幹はそう簡単に改まらない。サウド家に顕著なように、王家・首長家は「征服王朝」であり、潜在的に軍の銃は国民に向いている。また、バーレーンやリビアやアラブ首長国連邦(UAE)のように、支配家族の支持基盤が十分に兵力を備えるほど人口的に規模が大きくない時、国民から将校や兵士を動員して国民軍として組織していくのではなく、外国人を傭兵として雇ったり帰化させて登用するケースがある。これらの軍はいっそう、政権と一蓮托生で、デモの圧力に徹底抗戦しかねない。
カダフィ政権の場合は、意図的に軍や親衛隊の部隊を分断し、相互に競わせてきた。軍の各勢力は部族に由来し、軍の統一性に欠ける。そのことが、早期に東部地域の統制が取れなくなった理由だろうが、首都の政権の崩壊と受け皿となる政権の成立には障害となる要因だ。関係正常化の過程で英・米で「開明派」ともてはやされてきたカダフィの次男サイフルイスラームと、近年急浮上しカダフィの国家安全保障補佐官となった4男ムウタシムの背後にそれぞれ別の軍部隊がつき、対抗関係があるとも言われる。
反体制勢力はカダフィがアフリカ諸国から傭兵を導入して弾圧に用いていると非難している。傭兵導入だけでなく、カダフィはアフリカ諸国の反体制勢力に資金や武器を供給して介入してきており、政権崩壊後の亡命先としても、欧米やアラブ諸国が拒否した場合は、アフリカの反体制勢力に加わるという可能性は捨てきれない。激動の中東情勢を日夜分かたず見つめる合間の、ちょっとした息抜きの想像に過ぎないのだが、変幻自在に国民と国際社会を翻弄してきたカダフィにとって、アフリカの奥に姿を消し、いわば「義経伝説」となることが、1つの望ましい最後なのではないかと思う。
カダフィという存在は、隣に生きていて活動していると非常に迷惑だが、遥か彼方で生きているか死んでいるかわからない存在となると、どこか懐かしさを感じさせる存在なのではないか(多数の人命が失われる事態に不謹慎だが)。英・米との関係改善のため、近年「猫を被っていた」カダフィが、22日の75分もの演説で、口汚い罵り言葉と反米・反イスラエルを連呼する様子を見て、リビア大使を務めたことのあるイギリスの老外交官は半ば嬉しそうに「昔ながらのカダフィだ!(vintage
Qaddafi !)」とコメントしていた。24日の国営テレビ演説では今度はデモをアル=カーイダとビン・ラーディンに扇動されたと主張するなど、常軌を逸した発言を繰り出しているが、しかしカダフィは通常でもこの程度の発言はしていたため、特に心境の変化があったかどうかは分からない。リビア政治にはカダフィ個人の奇矯な性格を含め、統一性のない社会の独特の要素があり、他のアラブ諸国と同列に論じることは適切ではないかもしれない。むしろ形態としては、サブサハラ・アフリカに多い、部族間の内戦とそれに伴う難民流出というパターンに似ている。
(4)米国や国際社会との関係 そしてこれらの要素を、事態の展開を見詰める米国政府も、克明に追いかけているだろう。米国はイスラエルを除けば、中東の諸国と強い価値的・精神的な紐帯はない。それは、このような激変期には、意外に簡単に政策変更をしかねないということである。状況次第で同盟国の政権を簡単に見離しかねないことは、エジプトのムバーラク政権への態度を1月末に急速に転換したことでも明らかである。
米国は中東に次のような戦略目標を持っている。(1)イスラエルの安全、(2)サウジ、湾岸アラブ諸国、イラク、イランの石油、(3)エジプトやスーダンやイエメンでの対テロ作戦、(4)イラン反米政権の封じ込め、特に核兵器開発阻止、(5)これらを担保するためのエジプトの安定、といったものである。
例えばバーレーンは対イランの橋頭堡という意味で不可欠であることは確かであり、急速な崩壊は望まないだろう。しかしもしバーレーンがシーア派主導の民主的な政体になるとすれば、それはイランの反体制勢力に影響を与えざるを得ない。現在の激動する中東情勢の中では、むしろ「逆シーア派ドミノ」でイランの政権を追い詰めることすら1つの選択肢として浮上する時期が来るかもしれない。
イエメンのサーレハ政権の対テロ作戦への協力についても同様で、サーレハ政権の存在がかえってテロリズム勢力の跋扈をもたらすという認識に達すれば、米国は意外に簡単に政権支持を撤回すると考えておいた方がいい。明らかに、米政権は大規模デモを基調として動く中東の現場の動向を見ながら、これまでの同盟国との関係を精査している。サーレハ政権はデモと米国の視線の双方から、強い改革圧力に晒されて、政権維持を図ることになる。
世界経済上、サウジアラビアが最重要なのは言を俟たない。サウジアラビアがそう簡単に揺らぐとは、多くの専門家が考えていないが、今回の中東の革命の連鎖は、ほとんどあらゆる専門家の予想を覆してきた。米国にしても、サウジアラビアが石油を安定して供給できないほど混乱すれば、サウド家の支配を無理に支える理由はどこにもない。逆に、イラン、イラク、バーレーン、そしてサウジアラビア東部州までの「シーア派の弧」を民主化して新たな同盟国とするような可能性も(ここまで来るとほとんどSFのような事態であるが)、10年の将来を視野に入れれば、あり得ない話ではない。ここのところの、たかが2カ月ほどで生じた変化の大きさからいえば、それほど荒唐無稽でもない想定である。
(終わり)