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2010年8月22日日曜日

室生山上公園「芸術の森」(奈良県宇陀市室生区)

県道28号線(室生川沿いの道)から山上公園まで標高約150M
南入口まで約1700M
北入口まで約1180M
大型バス通行不可
園内車両通行できません

室生寺と対峙した山の上約8haの空間に、イスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァン氏によりデザインされた自然とアートが調和する芸術性豊かな公園です。第2の室生寺を目指した現代の理想郷である芸術空間を満喫してください。(平成18年春開園)

室生山上公園『芸術の森』は、自然環境と調和した公園です。
平成九年度に国土庁の支援を受け、過疎対策として「むろうアートアルカディア計画」の策定を行った。村出身
の彫刻家井上武吉さんの「森の廻廊計画」を礎に、文化芸術の視点からの村づくりをすすめ、公共事業とアート
の融合を事業推進の柱としている。県は地すべり対策の跡地を利用した公園整備を図るために、平成十年度
「わが町の斜面地整備構成プラン」を策定。地すべりの視点と地域振興の視点から公園利用を検討した。その
後、未来に伝える文化遺産として2006年10月にオープンした。この公園の広さは約7.8ヘクタール。

古くからの自然と近代彫刻家の芸術が調和し、公園全体が風景彫刻となっている
地ずべり対策集水池に元の水田の自然地形を活かした3つの島が並ぶ
棚田の再現や螺旋の竹林
光と影を利用した天文の塔や太陽の道

■世界的な彫刻家ダニ・カラヴァン氏の作品と自然が一体となった自然を満喫できる芸術の森です。
【開園時間】4月〜10月 10:00〜17:00 3月、11月、12月 10:00〜16:00 ※入園は閉園時間30分前まで。
【観覧料】 大人400円(高校生200円、中学生以下無料)
【休園日】 毎週火曜日(火曜が祝日の場合はその翌日)及び12月29〜2月末日※天候により臨時休園有り。
問い=室生山上公園芸術の森 〒633−0421 宇陀市室生区室生181 0745−93−4730

■「アートアルカディア計画」
奈良県宇陀郡旧室生村(現宇陀市)
1997-2000

「むろうアートアルカディア計画」は、室生村出身で国際的に活躍した彫刻家井上武吉氏の構想「森の回廊計画」を核に、住民によるワークショップを通じて策定された。豊かな室生村の風景を未来へと永く伝えてゆくために、「生活基盤と文化基盤の同時整備→室生らしい風景をつくる」という目標のもと、地域住民の生活を守ると同時に、未来への文化遺産ともなる美しい景観を創り出し、地域を活性化するための交流事業へ寄与しようとする。さらに住民がアーティストとの交流を通じて、自らの創造性を高め、新たな産業などの活性化をめざす総合的な計画である。

室生村は、大都市から比較的近いところかに位置しながら、室生寺をはじめとする数多くの歴史文化遺産や自然環境に恵まれた美しい村です。この文化遺産や森や里山の美しい景観は、永年この村に住んできた人々が育んできたものです。
しかし、近年、村の産業である農業や林業が経済的な価値を失いつつあるなかで、過疎化の問題を抱え、独自な発想に基づいた村の活性化が模索されています。
今、室生村が求めるものは、村を愛し、村に希望を抱き、将来の室生村を創造しようとする人々の強い想いなのです。多くの人々の力の結集なのです。
室生村は千余年の歴史を持つ聖地室生寺や日本一大きい大野寺磨崖仏などの貴重な歴史遺産、さらには谷間の山里や豊かな森などの自然環境に恵まれた美しい村です。しかし、過疎化がすすみ、住民みんなが将来誇りを持って快適に住める村づくりが求められています。
この村に生まれた彫刻家の井上武吉先生は、村全体を人間と自然とが共生する美術館とする「森の回廊計画」を考え、生涯をかけて実現したいという夢をもっておられ、数多くの構想スケッチを遺されました。
「むろうアートアルカディア計画」は、この井上先生の構想を活かして、文化を軸とした新しい村づくりをめざす計画です。住民の意向を最大限反映させ、住民全体の文化活動や新たな拠点づくりへと発展させ、村全域に展開し、村が経済的にも文化的にも活性化するために計画されたものです。すなわち、井上先生によってふるさとに蒔かれた文化という種が、住民の手によって育てられ、自然と共生して生活の中で息づき、長い時間をかけて大きな森となって村全体が活性化することを目指す計画です。

井上武吉(Bukichi Inoue):彫刻家、室生村出身。ふるさとの風景を生涯愛し、深い谷から見上げる小さな天空のイメージから、マイ・スカイ・ホールという独自なテーマにもとづき、スケールの大きな作品を国内外に数多く遺した。三本松の道の駅は、モニュメント、建築を含め、空間全体をデザイン、計画の第一歩の作品となったが、同時に彼の最後の作品となってしまった。将来の計画については数多くのスケッチを遺している。

「室生地区における地すべり対策事業とアートの融合(むろうアートアルカディア計画)」http://ci.nii.ac.jp/naid/40004879319
「地方発「再生の風景」 地滑り対策とアート作品を融合--室生山上公園芸術の森(奈良県宇陀市)」http://ci.nii.ac.jp/naid/40015365443

室生寺の対岸にある室生地区は地すべり防止区域(面積:約145ha)に指定され、地すべり対策事業を実施している湿地部は「むろうアートアルカディア計画」のシンボル「山の上のモニュメント」の計画地であることから、地すべり対策事業と室生村の整備計画を調整し、公共事業とアートが融合する事業展開を図る予定です。

「アートアルカディア計画」のシンボルモニュメントとして、室生・山田地区に近い山の上、太陽の道上に最も近い山の上のモニュメントを設置します。これは、大地をイメージした道の駅モニュメント「my
sky hole」と対となり、天と地を結ぶ軸となります。そして、道の駅(三本松)と室生寺周辺を結ぶ「森の回廊」を象徴する文化軸となる計画です。

奈良県の東部に位置し三重県に隣接する本村は、約108平方キロメートルの
面積を有し、そのうちの約8割を林野が占め、農林業を主産業とする村である。
また、本村は起伏に富む地形で自然景観にも恵まれていることから、村域の約3
割が「室生赤目青山国定公園」に指定されている。さらには、女人高野で名高い
室生寺をはじめ、貴重な歴史文化遺産や自然環境が数多く残されており、精神文
化が息づいている美しい村である。
一方、交通アクセス面では、近鉄大阪線、国道165号が東西に走り、北部は
名阪国道に隣接し、南北には広域農道(やまなみロード)がつながるなど、都市
部からの利便性が良いという特徴も有している。
本村では、これまで、これらの地域特性を活かした地域振興を図ってきたとこ
ろであり、特に、県営工業団地や大規模住宅開発の誘致を図るなど、定住人口の
増加を図るための諸施策の推進や生活基盤の整備を積極的に進めてきたところで
ある。しかしながら、バブルの崩壊後、これら定住促進のための誘致計画は凍結
されることになり、新たに交流人口の増加によって地域活力を高めるための施策
展開が必要となった。
現在の村の人口は6,205人(平成16年8月31日現在)であり、国勢調
査による人口の推移をみると昭和35年の9,721人をピークに下降線をたど
り、平成2年6,869人、平成7年6,809人、平成12年では6,306
人まで減少している。10年間で8.2%(563人)が減少したことになる。
また高齢者比率が29.2%と超高齢社会に突入しており、過疎化が少子高齢化
により拍車をかけている状況にあり、地域活力の低下を招いている。
この人口推移からも、ただ単に生活基盤整備を行う従来型の村おこしだけでは
活性化ができないとの反省から、過疎化による閉塞感を打開するための新たな施
策として、平成9年度に当時の国土庁の支援を得て、文化芸術の視点から村づく
りをすすめる「むろうアートアルカディア計画」を策定し、今日まで取り組んで
きたところである。
この計画は、文化芸術活動を通じて、村民の持っている精神財産を再確認する
ことにより、村民に「誇り」と「生きがい」をもってもらい、同時に文化による
村づくりをすすめることで、交流人口の拡大、過疎対策を図ろうとするものであ
る。
地域再生を図るうえで、村全体が博物館となるようフィールドミュージアムを
イメージしており、美しい景観を保全創出することが、ひいては観光の活性化、
交流人口の増大に資するとの考えから、これまで文化芸術の視点から生活基盤と
文化基盤の同時確立させることにより人々にとって親しみやすい地域景観の創出
を図ってきた。
また村の総合計画においても、アートアルカディア計画の精神を活かし、交流
人口の増大と観光産業の振興を図り、地域再生をめざすこととしている。
現在整備を進め
ているのが、山の上のモニュメント、いわゆる山上公園整備業で、アートアルカ
ディア計画の第2のシンボルに位置づけている。平成13年度より取り組んでい
る山の上のモニュメントは、約8 ha の地すべり対策後の跡地を利用した公園で、
世界的に活躍する環境造形家ダニ・カラヴァン氏によって意匠デザインされ、
公園全体が作品となるよう環境造形されており、自然環境と調和した精神性の高
い、国内外に情報発信のできる公園として、平成17年度の完成・供用を予定し
ている。施設供用にあたっては、住民参加の管理運営を検討しており、行政・地
域住民・NPO等の協働の新しいモデルとなる公園づくりをめざしている。

■ビジターセンター
南駐車場前
■第一の島:野鳥観察
■第二の島:ピラミットの島
鉄骨表面がどれだけサビようとも内部までサビが進行しないコールテン鋼というスグレモノの鋼材が使われています

名称:COR-TEN鋼、コールテン鋼
説明:錆びても錆が、表面にきめ細かい酸化被膜を形成し、これが腐食を阻止します。
一般的には耐候性鋼板、耐候性鋼材。表面の錆が保護膜となり内部まで腐食しない。
適切な管理をすれば無塗層で使用できる。
メンテナンスフリーの構造材・仕上げ材として建築・橋・鉄道車両などに利用されている。
(コールテン鋼とは、製品名)
茶褐色から暗褐色に時間の経過と共に変化します。
初期の段階では初期錆が発生し、雨などが降ることにより周囲の地面や建物足元が若干錆色になることがあります。錆の進行で安定錆が発生するため、施工後4ヶ月程度で問題なくご使用いただけます。
安定錆を発生させるために保護膜の形成が必要です。水に濡れる、乾くを繰り返すことで保護膜が形成されるため、濡れたままになるような水気の多い場所では普通の鉄板と同じように錆が進行します。使用箇所を考慮する必要があります。

TB−COAT ≪浸透性吸水防止剤≫
建材のエフロ・カビ・シミなどでお困りの方お奨めです。
製品情報詳細
石材・RC・テラコッタ・タイル・目地・木材・漆喰・塗り壁・ジプトン・畳など吸水性のある建材に塗布することで吸水率を大幅に低下させます。
(1)塗布後の風合いは変えない (2)エフロ防止 (3)高耐久性 (4)素材の通気性を妨げない
4つの特長を活かし京都国際会館(石材)・亀の井別荘(木材)・室生山上公園芸術の森(RC)など様々な分野での導入実績があります。

■第三の島:野外ステージの島

■観覧席(東西南)
カラーコンクリート「大地」使用

■棚田

「もともと水田耕作していた場所なんです」と宇陀市役所都市整備部公園課の岡島善人さん。
鹿の被害も多く、管理が難しい場所でもあったそうだ。公園として整備された今も、記憶をとどめておくため、一部、棚田を再現している。

■太陽の塔・ゲート

公園内には、北緯34度32分の東西の軸線が通っている。軸線上には、室生寺、長谷寺、伊勢神宮斎宮跡、箸墓古墳などがあり、太陽信仰と深い関係があると言われている。その歴史的な太陽の道上に設けられたモニュメント「天文の塔」は、高さ8m。

太陽の塔とゲート。ゲートの中央部分が分かれていますが、これは北緯34度32分の軸線に合わせた「太陽の道」。古代から、大和と伊勢を結ぶラインで、この線上に重要な古墳や寺社が配されてきたのだそうです。

■らせんの水路
渦巻状に水が流れる。見る位置で表情を大きく変えるアート

■らせんの竹林
螺旋階段をおり、地下の道を通って地上へと上がっていきます。 ここは明と暗(光と陰)を楽しむ空間です。

■波型の土盛り
弘法大師が掘り当てたという伝説の井戸へと続く
波の拡がりを表現


■施設棟
自然と溶け込む形
白壁と天窓のおかげで、かなり明るい
トイレあり

■遊歩道

木質系舗装は、木チップや樹皮などと各種バインダ(ウレタン樹脂、エポキシ樹脂、アクリル樹脂、アスファルト系乳剤等)とを現地で混練りした後、敷きならし、締固める舗装で、木材の風合いと弾力性があります。
 一般の舗装技術に比べ、自然素材を使用しているため自然な風合いが表現できます。また、木チップや樹皮などに間伐材を用いると林産資源の有効利用が図られます。
● 木質特有の自然な風合いを持っています
● 衝撃吸収性があり、歩行者が安心して歩行できます
● 透水性あり
● 明色・着色性あり
● 路面温度低減あり
● 歩道、遊歩道によい
● 公園広場によい


■開園にあわせて、彫刻家ダニ・カラヴァン氏
から、公園に寄せるメッセージが寄せられまし
たので、紹介します。
イスラエル生のダニカラヴァン氏
http://www.danikaravan.com/
★メッセージ★ 〜山上公園に寄せる想い〜

初めて室生村を訪れたとき、私は室生寺をは
じめとする千余年の歴史遺産と豊かな自然と里
山の風景に心を奪われました。さらにこの地は
私の親友であった故・井上武吉(室生区出身の
彫刻家)のふるさとであり、村の風景をこよな
く愛しながら作品を創っていた、彼の足跡をた
どっているような想いにかられました。そして、
「室生寺が長年にわたり地域を豊かに育んでく
れたように、地域を文化芸術で活性化したい、
現代が未来へ伝えられる文化遺産を創り出した
い」という依頼に感動しました。
公園の敷地は、地すべり対策事業地で、その
ための土木的に必要なことは100パーセント
尊重し、その上で周囲の環境と調和したアート
空間を創り出そうと考えました。自然は人々の
豊かな揺籃(ようらん)であると同時に、時には災害をもた
らすものです。そこで、このプロジェクトは多
くの人々の協働により、どうしたら自然と人間
が共存して豊かな空間が創り出せるかというこ
とを問いかける例のない試みとなりました。
南側から森の間を抜けると、大きな第1湖が
見えてきます。これは、もともとの水田地形を
そのまま活かしたもので、湖には3つの島が浮
かび、一つは鳥が集う島、テントや家のような
かたちの休息の島、様々な催しが楽しめるステ
ージの島です。そして湖を取り囲む半円形の観
覧席。これらも土地に根差した色になるよう考
慮して創られています。
湖を下ると棚田が見えます。場所の記憶、そ
こにあった人々の営みを表現するため小さな棚
田を復元しています。実際に耕作され、農業の
四季の移り変わりが見られるでしょう。また洪
水時に備えるバイパス水路があります。これも
地形に沿ってまるで龍のような美しいカーブと
なっています。そして第2湖が見えてきます。
第2湖は第1湖と異なり、円形をしており、そ
の中央を太陽の道と呼ばれる、北緯34度32
分の東西の軸線が通ります。この軸線は、伊勢、
室生寺、長谷寺、箸墓古墳など古来より重要な
拠点が置かれてきた場所をつなぎ、太陽信仰と
も関係があるともいわれています。新たに創り
出されたこの空間はこの軸によって室生寺をは
じめとする歴史と結びつけられ、また、天文学
的な宇宙の営みとの関係を表現しています。
この後にも、らせんの水路や竹林、波形の土
盛など皆さんは次々にこの場所の環境を体験す
る装置を発見することになります。何か空間の
交響楽のような変化に次々と出会うことになる
わけです。このような空間を実際に身体で五感
を使ってそれぞれの方法で感じてほしい、季節
や時間の移り変わりを心ゆくまで味わってほし
いと願っています。

■参考文献
*彫刻家との対話 : 現代彫刻の世界
酒井忠康著, 未知谷, 2010.3, 381p
*Dani Karavan retrospective
Dani Karavan[作] ; 酒井忠康監修, 世田谷美術館, c2008, 223p
*われらが時代のビッグ・アーティスト : 高松宮殿下記念世界文化賞受賞者12人へのインタビュー
辻川一徳著, フィルムアート社, 2006.10, 391p
*穹+(きゅうぷらす)
磯崎 新;カラヴァン ダニ・;木村 重信;井尻 千男【ほか著】, 河出書房新社, ヤマギワ, 1999.2.25, Vol.3(1999), 63p
*ダニ・カラヴァン「隠された庭への道」カタログ
ダニ・カラヴァン作 ; 芸術の森美術館,空間造形コンサルタント編, 札幌市市民局文化部市民文化課, 1999, 33p
*彫刻の絆 : 現代彫刻の世界
酒井忠康著, 小沢書店, 1997.7, 301p, 図版 [22] p
*ダニ・カラヴァン展展示記録集
高嶋雄一郎 [ほか] 編集, 世田谷美術館, 空間造形コンサルタント, 長崎県美術館, c2008, 223p
*隠された庭への道
ダニ・カラヴァン[作] ; 芸術の森美術館, 空間造形コンサルタント編集, 札幌市市民局文化部市民文化課, c1999, 33p
*ダニ・カラヴァン「高きへ」 : 平和と寛容へのオマージュ = Dani Karavan maala : homage to peace
and tolerance
「高きへ」編集委員会編集, 「高きヘ」編集委員会, c1997, 15p
*ダニ・カラヴァン : 大地との共鳴/環境との対話
ダニ・カラヴァン著, 朝日新聞社, 1997.12, 151p
*ダニ・カラヴァン展「空 : 水はそこに」
佐賀町エキジビット・スペース編集, 佐賀町エキジビット・スペース, 1977.10, 31p
*「時間,空間,思索ー彫刻家ダニ・カラヴァン」展カタログ
神奈川県立近代美術館編, 「時間,空間,思索-彫刻家ダニ・カラヴァン」展実行委員会, 1994, 147p

「自然、伝統、記憶、そして空間造形--ダニ・カラヴァン インタヴュー/インタヴュアー酒井忠康 (特集 渦(うず)…地上のすべては渦の中から生まれた)」
http://ci.nii.ac.jp/naid/40005221158


■公園完成までの経緯
1998.11.2
カラヴァン室生村への初訪問。

1999.7.12
カラヴァン第2回目の室生村訪問。「山の上のモニュメント」構想を正式に依頼。

2000.6.12
山の上のモニュメント基本設計を空間造形コンサルタントに業務委託。

2001.3.30
山の上のモニュメント基本設計業務完了。
カラヴァンより基本設計の具体的内容、
概算事業費が提案される。

2001.11.26
カラヴァン、6回目の訪問。
第1の湖の護岸の線形及び島、
ビジターセンターの配置・大きさについて、
シミュレーションを行う。

2002. 5. 22 〜 23
カラヴァン、7回目の訪問。
3つの島、野外劇場、ピラミッド、第2の湖、ゲートについて、
シミュレーションを行う。

2002. 12
第1の湖を事業区域とする山上公園第1期工事を発注。
淺沼組が受注。

2003. 3
カラヴァン、8回目の訪問。3つの島のシミュレーションを行う。

2003. 6. 30 〜 7. 2
カラヴァン、9回目の訪問。コンクリートについて確認。新素材の
コンクリートを「大地のコンクリート」「禅のコンクリート」と命名。

2003. 10 .14 〜 17
カラヴァン、10回目の訪問。3つの島の護岸コンクリートの施工
程度の確認、植栽の検討、2期工事の各エレメントの大きさ等の
確認を行う。

2003.12
山上公園第2期工事を発注。淺沼組が受注。

2004. 3. 13 〜 17
カラヴァン、11回目の訪問。第2の湖、太陽のモニュメント等の
シミュレーションを行う。
山上公園第1期工事が完了し、山の上のモニュメントの基本中
の基本である3つの島、ピラミッド、観覧席が姿をあらわす。

2004. 6. 22 〜 25
カラヴァン、12回目の訪問。工事進捗状況確認

2004. 10. 27 〜 30
カラヴァン、13回目の訪問。工事進捗状況確認

2005. 6. 17 〜 19
カラヴァン、14回目の訪問。工事進捗状況確認

2005. 11. 7 〜 9
カラヴァン、15回目の訪問。工事進捗状況確認

2006. 3. 3 〜 8
カラヴァン、16回目の訪問。工事進捗状況確認

2006. 3. 31
公園整備工事 竣工

2006. 5. 28
竣工披露式

2006. 6. 1
供用開始


公園名 : 室生山上公園芸術の森

所在地 : 奈良県宇陀市室生区室生181番地

事業名 : 特定地区公園整備事業
(山上公園整備事業)

事業年度 : 平成13〜17年度

整備内容 :
奈良県:地すべり対策事業の一環として、池や水路等の整備
旧室生村:公園施設等を整備

■西光寺(奈良県宇陀市室生区室生26 付近)
室生寺の西、小高い山の中腹に建つ小寺西光寺。この寺のシダレザクラは、樹齢およそ300年、城之山桜と呼ばれる。隠れた花見スポットとして、地元の人やプロのカメラマンに人気が高い。
<交通>近鉄大阪線室生口大野駅から奈良交通バス室生寺前行きで15分、室生寺前下車、徒歩20分
<桜の本数>1本(シダレザクラ)

■松平文華館(まつひらぶんかかん)

写真家・前田真三の作品を中心とし、室生村や北海道の風景写真が多く展示されている。館内には色とりどりの野の花が生けられており、穏やかな空間を演出している。また、室生寺の仏像の写真や室生寺管長の書といった室生寺ゆかりの品々も展示されている。

室生村の旧家松平家が所蔵する古美術品を展示している。「宀一山秘記」の写本などもある。
写真家・前田真三氏の風景写真が常設展示され、館内に生けられた色とりどりの野の花が自然の営みを語りかけてくれる。

松平文華館は、室生村の旧家松平家が所蔵の古美術を展示するために開館。
室生の地を訪れて以来、この地に心ひかれた写真家・前田真三氏の北海道と奈良の風景写真を展示している。
館内には、作品に寄り添うように色とりどりの野の花が、あちこちに生けられています。籐(とう)のかごや木のツルに、ユリ、ススキ、オミナエシ、ハギ…。四季折々の作品と傍らで息づく花の調べ。秋色に染まりつつある里で、たおやかに織りなす自然花の舞をお楽しみ下さい。

【心を和ます 観光客の憩いのスポット  〜風景写真と野山の草木の館〜 27年間の歴史に幕 室生村 松平文華館】
 "写真と花の館"として親しまれている奈良県宇陀郡室生村室生の「松平文華館」=松平三千代館長(62)=が、**年11月末で閉館し27年間の歴史に幕を閉じる。
【夫の両親が開館】 松平家所蔵の古美術を展示するため、1978年に松平館長の夫、雅之氏の両親が開館。3年後、三千代さんが引継ぎ、写真家の前田真三氏が撮影した室生寺や北海道の風景写真73点を常設展示。館内に生けられた野山の草花や自然木は写真とマッチし訪れる観光客の憩いのスポットとして、いくつもの観光雑誌にも紹介された。
【館長の喜ぶ顔を】 館内に飾られた草花は松平館長自らが生け、その草花を採取して20年近く毎日届けていたのは名張市安部田の夏秋藤子さん(76)。当初、同館に客として訪れたのがきっかけで、夏秋さんは「一度も辛いと思ったことはない。山に入ると不思議と元気になった」と振り返り、「何より館長の喜ぶ顔が見たくて」と話した。
【2代目の松平館長 名張の夏秋さん
二人三脚】松平館長と夏秋さんの二人三脚で支えた同館。その一人の夏秋さんが高齢に達したことから、「これ以上、(夏秋さんに)負担を掛けては」と計画より3年早い閉館を決めた。
【計画より3年早く11月末に閉館】
これまで同館を訪れた観光客は10万人以上にも上り、松平館長は「花、木、両親、主人、夏秋さん…周りの全てに感謝したい。随筆家の岡部伊都子氏、花人の川瀬敏郎氏といった一流の人だけでなく、名も知らぬ多くの人々との出合いが財産」と目を潤ませた。

■やまなみロード
室生村の交通事情が大きく変わります!名阪国道・国道165号から容易にアクセス!
名阪国道 小倉ICから国道165号を経て、室生寺周辺までつなぐ奥宇陀広域農道(やまなみロード)がこの程開通しました。この農道は全長約15.4kmにわたるもので、起点小倉ICから終点室生寺周辺まで30分程度でアクセスすることができます。『やまなみロード』の名前のとおり、道中の景観は素晴らしく、特に山々の中を駆け抜ける爽快感はこの道ならではの魅力です。

○小倉IC  〜 室生寺周辺  約20分
○小倉IC 〜 国道165号 約15分
○国道165号〜 室生寺周辺 約5分

■リンク
奈良県宇陀市室生【観光情報・リンク】-タウンネットガイド
http://tnguide.jp/nr/murou/

宇陀市 観光案内
http://www.city.uda.nara.jp/04/index.html

旧室生村hp
http://www1.kcn.ne.jp/~ongaku_m/index.html

室生寺(2010.8.22訪問)

奥の院
■奥の院
重文
鎌倉時代後期
http://www.murouji.or.jp/garan/okunoin.html

五重塔の脇を通って高い石段を登り切ると奥の院。
弘法大師を祀る御影堂は大師堂とも言い、板葺き二段屋根の宝形造りで、屋上の宝珠と露盤は優品である。
各地にある大師堂の中でも最古級の堂。

だいしどう 【大師堂】真言宗の寺院で、弘法大師の像を安置する堂。

宝形造(ほうぎょうづくり)
日本建築の屋根の形式の一つ。方形造とも書き、方形平面の建物の屋根に多い。寄棟(よせむね)造のように雨が四方に流れるが、屋根の頂部に棟がなく、隅棟(すみむね)が屋頂で合しているもの。頂部には露盤(ろばん)、伏鉢(ふくばち)、宝珠(ほうじゅ)を置くが、伏鉢と宝珠の間に受花(うけはな)のつくものもある。宝形造の名は、露盤、伏鉢、宝珠の総称を宝形とよぶのに由来する。宝珠は正しくは如意(にょい)宝珠といい、あらゆる苦難を取り除く宝の珠(たま)の意。ほかに、八面または六面からなる屋根をも宝形造とよぶことがある。

如意宝珠(にょいほうじゅ)
思いどおりに宝を出すといわれる珠のこと。サンスクリット語のチンターマニcintmaiの訳。如意宝、如意珠ともいう。いかなる願望も成就し、意のままに、宝や衣服、飲食を出し、病気や苦悩をいやしてくれるまさに空想上の宝珠であり、また悪を除去し、濁った水を清らかにし、災禍を防ぐ功徳(くどく)があると信じられている。如意輪観音(にょいりんかんのん)、馬頭(ばとう)観音、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)などの持物(じもつ)とされる。とくに真言(しんごん)宗などの密教で重んじられる。

ろ‐ばん【露盤】仏塔の相輪のいちばん下にある四角い盤。

■「天然記念物 室生山暖地性シダ群落」
 イヨクジャク(Diplazium Ohudairai Mak.)、イワヤシダ(Diplaziopsis Javarca C.
chr.)、オオバハチジョウシダ(Pteris longipinnula Wam.)など暖地性シダが群生している。
 この群生は、わが国のこれら暖地性シダの分布の北限にあたるため1928.11.30(昭和3.11.30)天然記念物に指定された。
天然紀念物調査報告(植物之部)第九輯 一五頁 参照

■五重塔
国宝
奈良時代後期

本堂横の高い石段の上に優しく立つこの塔は、屋外に立つ五重塔としては我が国で最も小さく、また法隆寺五重塔に次ぐ古塔である。
檜皮葺の屋根や丹塗りの組物が、奥深い樹林に包まれて格別の風情がある。

室生寺は,奈良時代末期頃,奈良県中部にある室生山中の竜穴神霊場に創建された。
五重塔は8世紀末期頃の建築で,一般的な古代の五重塔に比べ,高さなどほぼ3分の1程度の規模である。
しかし,柱・組物・垂木など部材は太くされており,緩やかな勾配の檜皮葺屋根と相俟って,優美で安定感のある外観になっている。

高さ16メートルという小さな塔であり,各重がやや高いきらいはあるが,ゆるやかなひわだぶきの屋根はきわめて軽妙な感じをもっている。
また相輪は普通のものと違った珍らしい形をしている。
室生寺は奈良時代末期からすでに存在し,この塔も奈良時代の特色をます点が少なくないので,おそらく創立当時の遺構であろう。

檜皮採取の技術は,80から100年生以上の檜の立木から,樹皮である檜皮を剥ぎ取る技術である。剥いだ檜皮は一定の長さに切り揃えて結束し,檜皮葺業者に引渡す。このような檜皮採取の技術者を原皮師(もとかわし)と呼んでいる。原皮師は檜の立木の下部からヘラを入れ,順次上方にめくり上げ,麻縄を巧みに使って足掛かりとし,高い木では20メートル以上まで登り,皮を剥ぐ。自由に木を登り降りし,木の上で皮を剥ぐには高度な技術と熟練が必要である。
 檜皮葺の仕上がりや耐久性は,材料の檜皮の良否に負うところが大きく,檜皮採取は檜皮葺建造物の保存に欠くことのできない重要な技術である。近年では後継者が激減し,現業者も高齢化が著しいなどの理由により,檜皮の採取量の減少を招くなど大きな問題となっており,早急に技術の保存と後継者の育成を図る必要がある。

に‐ぬり【丹塗(り)】
丹(に)または朱で塗ること。

■潅頂堂(かんじょう)
国宝
鎌倉時代

金堂からさらに石段を登ると本堂がある。
ここは真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂、或いは灌頂堂と言い延慶元年(1308)の建立。
五間四方入母屋造りの大きな建築で、和様と大仏様の折衷様式を示す。

室生寺潅頂堂(現本堂)にみえる意匠・構造は、天皇家の帰依を受けて北京律僧が造営したと考えれば、理解しやすい部分が多い。現存遺構がない天皇家および北京律僧による中世の寺院建築を考えるうえでも室生寺灌頂堂は重要な遺構である。北京律僧は東寺・東大寺のほか鎌倉などでも活躍しており、これらの寺院や地域における建築の様相を、北京律僧の活動からとらえ直してみる必要がある。

密教の両界曼荼羅は、いずれも大幅(縦・横1メートルから3メートル余)で、金堂あるいは灌頂堂(かんじょう)という比較的大きい建物の内部(内陣)に安置される。これにも2種あり、掛幅(かけふく)用と壇上に敷く敷(しき)曼荼羅に分けられる。今日では真言宗の寺院ならどんな小さなところでも、曼荼羅の1、2本はかならず常備しているのが通例である。正面に向かって右、東側に掛けるのを胎蔵界(たいぞうかい)(正しくは胎蔵)曼荼羅という。これは『大日経』を所依として図解したもので、女性的原理に基づく理の世界、あるいは物質的な世界観を表す。同じく向かって左、西側に掛けるのを金剛界(こんごうかい)曼荼羅といい、『金剛頂経』を所依として図解し、男性的原理に基づく智(ち)の世界、あるいは精神的な世界観を表す。

「密教的空間の研究 : 潅頂と潅頂堂その 3」http://ci.nii.ac.jp/naid/110003882057

いりもや‐づくり【入▽母屋造(り)】入母屋屋根をもつ建物。唐招提寺(とうしょうだいじ)講堂など。

入母屋(いりもや)
勾配(こうばい)屋根の形式の一つで、切妻(きりづま)の四周に庇(ひさし)を葺(ふ)き下ろしたような形となり、妻側の庇から相当内に入った所に破風(はふ)が立ち上がる形式になるのでこの名がある。古代の竪穴(たてあな)住居で円形または隅(すみ)丸の平面をもつものは、(垂木)(たるき)を穴の周辺に沿って立ち上げ、中央で束ねる円錐(えんすい)形の屋根となるのが自然であるが、これに煙出しをつくり、しかもそこから雨が降り込まないようにするため、頂点部分に短い棟(むね)をつけると、おのずから入母屋の形ができる。登呂(とろ)遺跡などの竪穴住居はこの形で復原され、家形埴輪(はにわ)でもこの屋根をもつものが多い。奈良時代までは最重要の建物(宮殿における大極殿(だいごくでん)、寺院における金堂(こんどう)など)には寄棟(よせむね)を用い、入母屋は一級下の建物(寺院における講堂、中門など)に用いられていたが、その後は重要施設のすべてを入母屋で統一するのが通例となった。現在でも高級木造建築で入母屋の用いられることが多い。
通常の入母屋は、棟から平側の軒までを連続した面(普通は反(そ)り、まれに起(むく)りをつけた曲面)につくるが、切妻部分の勾配を急に、庇部分の勾配を緩くして屋根を折板(せっぱん)状につくるものを錣葺(しころぶ)きといい、玉虫厨子(たまむしずし)宮殿模型の屋根や復原された四天王寺伽藍(がらん)ではこの形が用いられている。

和様(わよう)
日本美術用語。唐様(からよう)に対することばで、日本風、日本様式をさす語として用いられ、美術史ではとくに書、建築などの様式に用いる。
建築では、鎌倉時代に新たに導入された大仏様、禅宗様に対する呼称。
奈良時代に伝来した中国唐(とう)代の建築様式が母胎となり、平安時代を通じて日本的に発展したものを和様の建築様式という。

大仏様建築(だいぶつようけんちく)
鎌倉初期に行われた建築様式。治承(じしょう)の兵火(1180)で焼失した東大寺の復興にあたり、大勧進(だいかんじん)に任じられた重源(ちょうげん)が、当時の中国建築の様式を取り入れてつくった建築様式で、東大寺大仏殿の造営にちなんでこの名でよぶ。かつては天竺(てんじく)様ともよんだが、インド様式と誤解されやすいので、この名称が提唱された。

■如意輪観音座像
重文
平安時代中期
本堂正面の厨子に安置されるこの像は、穏やかな作風の桧の一木造り。
観心寺・神咒寺の如意輪とともに日本三如意輪の一つと称されている。

如意輪観音(にょいりんかんのん)
観音菩薩(ぼさつ)の一つ。サンスクリット名はチンターマニチャクラCintmai-cakraで、手に意のままに宝を出すという如意宝珠を持ち、いっさいの人々の願いを満たすので、如意輪観音の名がある。世間においては財宝を富ませ、福徳智慧(ちえ)の資糧を増加させて、苦悩する衆生を救うという。造像上では六臂(び)につくられ、頭上に宝珠を安置する。まれに中宮寺のような二臂の像もある。普通は右手を傾けてほおを支え、思惟憐憫(しいれんびん)の情を表し、左手に施満願(せまんがん)の印を結ぶ。

■五輪塔(ごりんとう)  北畠親房(きたばたけちかふさ)の墓

五大(ごだい)にかたどった5種の部分からなる塔をいう。五輪卒都婆(そとば)(卒塔婆(そとうば))ともいう。五大とは、物質の構成要素である地、水、火、風、空のことであり、輪とはすべての徳を具備するという意味をもつ。したがって五輪とは、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の総称である。それぞれ方、円、三角、半月、宝珠(ほうしゅ)形につくられ、日本では平安時代のなかばごろから死者への供養塔(くようとう)あるいは墓標として用いられた。石造りが一般的であり、木、金属、泥などでつくられもした。ちなみに、人間の五体(ごたい)は五輪からなり(五輪五体)、大日如来(だいにちにょらい)と等しいとみなして、密教の修行者たちは五輪成身観(じょうしんかん)という観法(かんぼう)(禅定(ぜんじょう)の一種)を修した。

北畠親房(きたばたけちかふさ)
(1293—1354)
鎌倉末・南北朝時代の公卿(くぎょう)、思想家。父は師重(もろしげ)、母は左少将隆重(たかしげ)の女(むすめ)。後醍醐(ごだいご)天皇の信任厚く、南朝の中枢として活躍した。
親房の生涯はおおよそ3期に分けられる。第1期は鎌倉後期。北畠氏は、両統迭立(てつりつ)のなかで大覚寺統(だいかくじとう)に仕えてきたが、親房は後醍醐天皇に抜擢(ばってき)され、官職も32歳で父祖の最高職を抜いて大納言(だいなごん)に昇進、天皇の政治に深く参画し、吉田定房(さだふさ)・万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)(藤原宣房)とともに「後の三房(さんぼう)」と称された。また後醍醐天皇皇子世良(ときよし)親王の養育にあたったが、1330年(元徳2)親王は若死にし、親房も悲しんで出家し政界を引退した。法名宗玄(そうげん)(のち覚空(かくくう))。出家の翌31年(元弘1)には元弘(げんこう)の変が始まり、ついで建武(けんむ)新政となるが、親房はこの政治過程では政界の表面では活躍しない。新政成立後は、長子顕家(あきいえ)の陸奥守(むつのかみ)就任により、ともに陸奥国に下り、顕家を後見して奥羽経営に尽力した。第2期は、新政の挫折(ざせつ)とともに始まる。足利尊氏(あしかがたかうじ)の反乱軍を追って西上した顕家とともに1336年(延元1・建武3)上洛(じょうらく)し、そのまま京都にとどまってふたたび国政に携わることとなった。尊氏再挙ののち、親房の画策によって後醍醐天皇を吉野山に迎えて南朝を開き、京都の北朝・幕府と対抗した。しかし顕家の戦死などで南朝は軍事的にしだいに劣勢となり、1338年(延元3・暦応1)東国を回復すべく義良(のりよし)親王、次子顕信(あきのぶ)らと伊勢(いせ)国大湊(おおみなと)を出帆したが、途中で暴風雨にあい、親房は常陸(ひたち)国小田(おだ)城(茨城県つくば市小田)に入った。翌年後醍醐天皇が死去し義良親王(後村上(ごむらかみ)天皇)が践祚(せんそ)したが、親房は小田城を動くことができず、1341年(興国2・暦応4)高師冬(こうのもろふゆ)によって攻め落とされ、ついで関城(茨城県筑西(ちくせい)市)に移ったが、1343年落城。常陸での6年間の苦闘はかくて失敗したが、小田城で『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』『職原抄』を執筆した。第3期はこれ以後の晩年である。常陸から吉野に帰った親房は、文字どおり南朝の中心となった。軍事的には楠木正行(くすのきまさつら)の戦死により吉野を失い賀名生(あのう)に移るなどさらに劣勢となったが、幕府内部も分裂して観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)となり、1351年(正平6・観応2)北朝を廃して正平(しょうへい)一統を実現し、親房は功によって准后(じゅごう)の宣を受けた。しかし親房の率いる南朝は、この政治情勢を永続させることができず、一統はたちまち破れ、親房は失意のうちに賀名生で没した。ただし没年、場所については異説がある。著書はほかに『元元集』『熱田本紀』など多数がある。親房の南朝に捧(ささ)げた生涯と、『神皇正統記』の独自の神国思想、正統観は、後世の思想界にも大きな影響を与えた。

■鎧坂(よろいざか)

鎧の草摺(くさずり:鎧(よろい)の胴の付属具。大腿部を守るために、革または鉄を連結して、ふつう五段下りにおどし下げる。下散(げさん)。垂れ。)を思わす幅広の石段が積み上げられている。

室生寺の堂塔は千年以上の時を重ねた建築物です。それは戦に巻き込まれることなく、平和な地であり続けたことを表しています。室生寺は、さまざまな宗派の山林修行の道場として、また人々の心のふるさとであり続けてきたのです。
しかし、金堂へと導く石段はそういう歩みとはかけ離れた「鎧坂」という勇ましい呼称です。鎧兜に身を包んだ武士たちが境内を走り回っていたかのようですが、もちろんそんなことはありません。
「鎧坂」とは、石段の下から見上げれば、鎧の"さね:【札】鎧を構成する細長い小板。鉄または革製で、1領に800〜2000枚をうろこ状に連結してつくる。"を編み上げたように見えるからです。春には石楠花、秋には紅葉に包まれ、冬には薄く雪を被る鎧坂の風景は、人智と自然の美しい融合だといえます。

炭火焼食事処 三太夫(さんだゆう)伊賀牛

三重県名張市安部田字阿清水520番地
0595-64-0055
定休日水曜日
駐車場50台
営業時間AM11:00〜PM9:30(L.O8:30)
http://www.moriwaki-net.co.jp/sandayu/index.html

百地三太夫の忍者屋敷を再現、築百八十年になる民家を移築
水車がぐるぐる回る庭
篝火(かがりび)のお出迎え


メニュー
※前菜五品、野菜五点の炭火焼、季節ごはん、汁、果物が付いております。
◆雪
(国産黒毛和種伊賀牛モモ・バラ) ¥5,300
◆月
(国産黒毛和種伊賀牛ロース) ¥6,400
◆花
(国産黒毛和種伊賀牛ヒレ) ¥7,600
◆柊
(国産黒毛和種伊賀牛ヒレ・天魚串・天魚造り・地酒) ¥9,200
◆銀杏
(国産黒毛和種伊賀牛ヒレ・ロース・バラ・盛り合せ) ¥6,700
◆葵
(国産黒毛和種伊賀牛ロース・モモ・バラ・盛り合せ) ¥5,600
◆桐
(国産黒毛和種伊賀牛ロース・モモ・国産若鶏・盛り合せ) ¥5,400
◆藤
(国産黒毛和種伊賀牛モモ・バラ・国産若鶏・盛り合せ) ¥5,100
◆百合
(国産黒毛和種伊賀牛モモ朴葉焼) ¥5,300
◆萩
(国産黒毛和種伊賀牛ロース朴葉焼) ¥6,800
◆楓
(国産若鶏朴葉焼) ¥3,000
◆紅梅
(国産若鶏) ¥3,200
若鶏の朴葉焼は、味噌が焼ける香ばしい香りが食欲をかきたてる。
◆桜
(天魚) ¥3,700
渓流にひそむ「清流の女王」天魚(あめご)
◆桔梗
(国産若鶏・天魚) ¥4,000
◆紅葉
(海老・貝・鳥賊・魚) ¥4,800

◆椿(平日のみ)
(おぼろ豆腐・国産若鶏の朴葉味噌・厚揚げ・千魚・田楽・前菜3品の炭火焼・季節ごはん・汁・果物)
¥2,300
◆ほおずき(お子様用)
(国産若鶏・海老・ウィンナー・野菜の炭火焼・季節ごはん・汁・果物・アイスクリーム)
¥1,800
(午前11時〜午後3時まで平日のみ)
◆国産若鶏朴葉コンロ ¥1,800
◆国産黒毛和種伊賀牛バラ朴葉コンロ ¥2,700
前菜・季節ごはん・汁・水物が付いております。

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