出版社: ウェッジ
2010年5月20日発行
ISBN-10: 4863100728
ISBN-13: 978-4863100725
商品の寸法: 18 x 13 x 1.6 cm
■内容紹介
四季の食材について学名から故事来歴、味覚、調理、詩歌に至るまで鋭敏な感覚で味わい尽した究極の味覚随筆。
歳時記は、四季折々の風物を愛でる日本人の生活に密着した形式として、日本の伝統文化を形作ってきました。本書は、屠蘇や七草といった正月の行事に始まり、百合根・山椒・たけのこ・みょうが・ほうれん草などの野菜・根菜から、柿・あんず・ざくろ・いちじくなどの果実、しじみ・あゆ・たら・牡蠣などの魚介類にいたるまで、四季の食材を取り上げて、日本人の食生活を歴史や地域とのかかわりで解説した読みものです。博識無双の著者のことゆえ、食材の名称、調理法、故事来歴は古今東西に及び、引用される挿話は日本の古典から旧約・新約聖書まで広範にわたります。むろん短歌・俳句の引用にも事欠かず、みごとな詞華集ともなっています。
本書は、全国の味の名店の連合PR誌「味覚春秋」に1985年から2000年まで16年の長きにわたって連載された未刊のエッセイから抜粋したもので、著者の『味覚歳時記
木の実・草の実篇』(角川選書・1984年)と好一対になる内容の本です。
■目次
序 ポモ・ドーロ!(以下に「立ち読み」可能箇所掲載あり)
新年
1 屠蘇
2 小豆
3 餅
4 ななくさ
春
5 つくし
6 百合根
7 慈姑
8 独活
9 若布
10 蜆
11 鮒鮨
12 芹とその仲間
13 山椒
14 水菜
15 菠薐草
16 蕗
夏
17 茗荷
18 蓼
19 茄子
20 ローズマリー
21 蓮
22 菖蒲
23 辣韮
24 薄荷
25 そらまめ
26 鮎
27 筍
28 杏
秋
29 目箒
30 菊
31 茘枝
32 石榴
33 梔子
34 鰯
35 無花果
36 茴香
37 落花生
38 柿
39 郁子
40 梨
冬
41 沢庵
42 蒟蒻
43 蕪菁
44 鱈
45 葱
46 豆腐 200
47 大根 204
48 仏手柑 208
49 牡蠣 212
50 味噌 216
雑
51 麩 222
52 チェリモヤ
53 エスプレッソ
54 むかしなつ菓子
跋 塚本青史 238
■立ち読み
序 ポモ・ドーロ!
この数年来「こだわりのグルメ」などという言葉を、然るべき人(主として女性)の談話の中で聞くことがしばしばある。私は「こだわり=拘泥」と解している。明らかに負(マイナス)要因であり、否定を前提とし、頑として許容せぬレジスタンスを抱えている。
ところが現代語訳(?)は右にあらず、かたくなに人のアドバイスを受けつけず、自説を決して譲ろうとしない心理挙動が「こだわり」と考える他はない。
珍味佳肴の世界を手探り足探りで究め、それにあえて「執着」して、是も非もなく「わが道を往こう」とする処世術であり、自己主張態度であろう。
某国語事典には「こだわる」=「どうでもいい問題を必要以上に気にする」と註している。もっとも名人気質にも天才肌にも、ある一面をクローズアップ(ダウンかも知れない)すればこの傾向は多々感じられる。
「及ばざるは過ぎたるに勝れり」なる諺も仄聞するのだが、個人個人の方法論に俟つべきだ。事、「食」に関しては、この「限度」が百人百種で、どれが中庸を得ているのか、どれが過激なのかは即断不能であろう。
私説「ほろにが菜時記」は一九八五年(昭和六十年)の四月に始まった。九九年十二月で一八七回に達する。全く平凡な日常茶飯事の側面紹介に過ぎないが、私の言語に関する潔癖は食品等の呼称にまさに「こだわり」つづけて来た。たとえば「アボカード」だが、これはその名さえも、市場一般では八〇%間違っている。中・南米産のこの果実、当然スペイン語を背後においているのだから「アボカード」と発音すべきだ。(VはBの発音。終りから二つ目のシラブルが揚になるから、長音だ。ところが、一九九六年八月頃、百貨店に行こうが果実・野菜店へ行こうが、八〇%は「アボガド」の四字表記になっており、誤謬を指摘すると、「出荷先から、この通りの『名札』や『送状』がついて来ています」の一言で追っ払われた。場末の野菜果物市へ行った方が、素直に私の発音に従順であった。こんな商品名は序の口の門前、食堂・茶房・レストラン・カッフェ自体の名すら間違っていることの方が多い。
たとえば和菓子の店、「菊屋」の喫茶部門が大阪には二軒あるが、いずれも「クリサンテーム」という看板を出している。たしか、「菊=chrysantheme」は「クリザンテーム」が正しい。言っても始まるまいし、営業主が時として、心ある人の批評にどう返答するかが問題だ。
「avocado=アボカード=鰐梨」もなぜ売場の商品名が「アボガド」になるのか、TVの出演者がなぜこれの訂正を遅蒔ながらでも提出しないのか、スペイン語のV=Bだから「アヴォカード」とは表記できないが、一方の「C」が「G」に変ることはあり得ない。
中島敦三十三歳の名作「光と風と夢」には「アボガドー」と表記されているが、これはサモア諸島での手記、それも酋長の談話に倣っているから異論は無理だろう。
食物の呼称が間違っていると、もう賞味する気がなくなるのは、私の奇妙な潔癖のなせるわざだが、これは一方「歌人=言語芸術家」の宿命と考えてほしい。
珈琲=コーヒー、これも危っかしい発音の一つだが、私は「エスプレッソ」マニアで日に一杯飲まぬと仕事が宙に浮く。
二年前イタリアで友人と某空港の小さな珈琲カウンターで、四人連ゆえに「クヮトゥロ・エスプレッソ」と注文したら、使用人のセニョリーナがにっこりして「クヮトゥロ・エスプレッシ?」と反問された。全く以てお粗末なミス。複数は語尾が「i」に変ることくらい、イタリア語一週間学べば自然に出てくるのに。
私は一日にエスプレッソ三杯は賞味する。エスプレッソメーカーも置いて既に十年以上。それにしても、イタリアでは「トマト」が「ポモ・ドーロ(黄金の果実)」とは、いささか誇張がすぎると思いますがね。
(続きは本書でお読み下さい)
■塚本邦雄(つかもと・くにお)
1920年、滋賀県生まれ。歌人、評論家、小説家、元近畿大学教授。1951年、中井英夫・三島由紀夫に絶賛された第一歌集『水葬物語』でデビュー。反写実的な作風によって、岡井隆や寺山修司らとともに前衛短歌運動を牽引した。短歌結社・玲瓏の主宰者となる。歌集・評論集・小説集など多数。著作を集成した『塚本邦雄全集』(全15巻別巻1、ゆまに書房)がある。2005年没。