「ヘルパーやが連日、訪問看護師が訪問して、だんだん状態が良くなると、彼らは外来受診もできるようになります。自由こそ治療という言葉があるけど、彼らは自由に自分自身が選択していく中で、確実に生き生きと生きていけるようになるのです」「どんなに重い症状を持っている人でも、健全な能力を引き出せれば、食事づくり、買い物、金銭管理、最低限の近所づきあいなどの生活の訓練ができていない人が多い。だから、それを覚えてもらう期間が必要です」例えば、ゴミ屋敷のような部屋の中で時空を絶するような生活をしていた人が、いまや大手スーパーに勤めていたり、短時間就労と(障害者)年金で、結構自由な生活を満喫していたりしている。
「本人を支えるグループがあれば、どんな人でも、社会生活していけるようになります。少々おかしくたって構わない。それでいいんだと、認めてあげれば、いいのです。お互いフレンドリーなまま、その人の奇妙さとこちら側の奇妙さと、お互いどっこいどっこいではないですか」
■「引きこもり」の重い症状の人たちを対象に家庭訪問を行い、その結果、彼らの大半が地域で就労など社会的に自立した生活を送れるようになるほどの高い効果を上げているのが、静岡県浜松市にある「ぴあクリニック」(精神科)の新居昭紀院長を中心とするPSW(精神保健福祉士)と近接する「訪問看護ステーション不動平」(精神科専門)サポートチーム■
「我々が扱うのは、医療が途切れて引きこもってしまった人や、気がついたら呼吸困難な重度の精神障害になっていた人たち。我々が往診専門という形で関わりを始めなければ、彼らは社会から置き去りにされてしまう。そんな埋もれた人たちがたくさんいると実感したのです」
こう振り返る新居医師は元々、近くにある総合病院の院長だった。そもそも、病院を退職後は、悠々自適の生活を送ろうと思っていたのに、自分がかつて受け持っていて治療が少しもうまくいかず、医療が中断し、地域に埋没していた患者に何らかの訪問支援をしようと、看護師の妻と2人でボランティアを始めたことがきっかけだったという。
「入院した精神障害者は、一旦、退院すると、本人がどんな状態になろうとも、家族に委ねられてしまう。病院からいわせれば、地域や福祉体制が面倒を見ればいいという発想だからです。しかし、彼らは自宅に帰されると、自閉、無為になり、布団を被って寝ているのが実態。重い人たちほど、退院後のサポートが大事なのに、何もされていないケースが多いのです」
こうした彼らの存在を見過ごせなくなった新居医師らは、2004年4月に、「カンガルークラブ」という訪問型支援のボランティアグループを設立。当初は「面白くて、ハマっていた」活動が、次第に共感を呼び、対象者が40人近くまで増えてしまったという。
「具合が悪ければ、病院や施設へ入れればいいというのでは、彼らの自由に生きていく権利を奪うことになる。それは、奇人・変人は、隔離・収容すべきだという差別や偏見に基づく体制側の発想です。しかし、対人不信の強い人たちですから、行っても拒絶されるのが当たり前。会ってくれないし、まったく話してくれません。やっと会ってくれても、部屋はゴミ屋敷。"着替えましょう"と不用意に触ると、叩かれたり、蹴飛ばされたりします。何十回無視されても、拒否されても、コンタクトを求めて訪問し、語りかけ続けていると、ふとしたきっかけで、こちらを向き始めるんです。共有できる世界ができる、もしくはコンタクトできる一筋の道が開けることは、すごい感激です」
「大事なのは、相手とどういうつながりを作れるかということです。医師目線で行くと、つい薬飲ませたり、入院させたりしたくなる。しかし、我々は治療者ではない。対等な人間同士のぶつかり合いです。むしろ、地域では、相手を上に置いて尊敬しなければいけない。向こうの土俵に入っていくのですから、相手のやりたいこと、できることをどう見つけるかがポイントです。病的な部分を見ても、何もうまくいかない。その人のいちばん楽しいこと、興味をもつことでしか通じないのです」
彼らの中には「なんで、あんなヤツらをよこすんだ!」と家族にあたったりするケースも少なくない。そのうち、家族のほうが耐えられなくなって、逆に「もう来なくていいです!」と断ってくるケースまであるという。「家族がサポートしてくれないと、我々は中断せざるを得ません。家族が暴力を振るわれ、"こんなに本人が嫌がっているんだから、もう止めてください!""この子の性格だから、もう治りません。結構です!"などといわれると、私たちも止めないといけない」このように、当事者やその家族が社会から放置され、地域から孤立していく背景には、家族が障壁になっているケースもある。これから歳をとり、自分が亡くなってしまったら、彼らを施設に預けるしかないと考えている親もいる。しかし、親が亡くなったとしても、そのような状態にある本人を受け入れてくれる施設などない。「結局、親が死んでも、当事者が自分の住み慣れた環境で、自分の身の回りの生活ができるようにしていかないといけないことを親にわかってもらうのです」