心身の衰えを自覚し、これを受け入れていくことと、これに過度に反応しすぎないこととのバランスをとっていくことは容易ではなく、自分が若かった頃、お年を召した方々が「この年になってみないと分からないことがいろいろあるのよ」とよく云っておられたことを、今にして本当にその通りだと思います。
三人の子どもが育つ過程で、ある日急に子どもが自分を超えていることに気付き、新鮮な喜びを味わった折々のことを今もよく思い出します。テニスコートで私にはとても出来ない上手なヴォレーやスマッシュをしていたり、一つの学問を急に深めていたり、私もこのような歌が詠めたらと思うよい和歌を作っていたり等
—— その一つ一つは、ごく小さなことであったかもしれませんが、親にとっては感慨深いものであり、未来への希望を与えてくれるものでした。悩むことも、難しいと思うことも多かった子育ての日々にも、こうした喜びを時々に授かりながら、私どもはやがて、それぞれの子どもの成年を祝い、結婚し独立していくのを見送りました。末の清子は民間に嫁いで皇室を離れ、上の二人も、もう私どもの手許にはおりませんが、東宮、秋篠宮二人ともが、あの幼い日や少年の日に見せてくれた可能性の芽を、今も大切に育て続けていることを信じています。