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2010年12月9日木曜日

2010年12月8日森村泰昌さんのお話

トークイベント 青山悟 x 森村泰昌(美術家)にて

森村さんの衣装は、ベージュのセーターに赤と茶の縞が入ったブラウス、紺の小さな水玉のネッカチーフ、ゆったりとしたズボンに茶色のスウェードのローファー。

『まねぶ美術史 森村泰昌モリエンナーレ』
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/20194598.html

について、「これはぜひ1冊の本にしたかった。2010年に出した本の中でも気に入っているものの1つ。」
「西洋の時間観では、過去から現在、未来へと一直線に線が伸びている。美術家の仕事も次の作品、また次の作品、と前へ前へと向かっている。だが、この本を出せたことは、自分が求めていたのはこの本を出すことだった、つまり自分の過去に出会うためだったんだ、と思えた。収めている作品は、決して誰かに見せようと思って描いたものではなかったし、誰かに見せる日が来るとは夢にも思っていなかった。授業がつまらない時などに、ひそかに描きためていたもので、いずれもサイズは小さく、でも出来上がるとサインをしたりして、サインの練習もしたし、サインを入れるときは悦に入っていた。いくつか作品を机に並べて、この並びはいいな、なんて一人展覧会をしていたりした。それは家の物置にどさっと置いてあったのだが、ふと見直してみる機会があり、うーんなかなか悪くないんじゃないか、と思えた。夏休みの終わりにみんなが水彩で夏の思い出、なんかを描いて提出しているところを、一人油絵具で仕上げてきた子がいて、その水彩絵の具の粉っぽさと違う、油絵具のいい香りをかいだ瞬間に『高校(中学?)に入ったら美術部に入って油絵を描くぞ』と思って、それから一心不乱に描きまくっていた、そのころの純粋な初期衝動が、今の自分にはそう悪くないものに思えた。そんな若書きを、展覧会や出版を通じて世間に出せるようになったのは、それから何十年のあいだの自分の仕事の結果であり、今の自分がいるからこそ、過去の森村に注目してもらえる。これを世に出すために今まで自分はやってきたんじゃないかと思えた」

「僕の在籍した大学は、京都だったので、京都画壇という確立した画壇があり、日本画学科の生徒たちは、日本に生まれ育った者として日本画を描くことについて疑いを持っていなかった。それがうらやましかった。僕は、油絵を描くにしても、なぜ僕は日本に生まれ育っているのに、油絵具とキャンバスという、西洋の道具(メディア)を使って描くのか、ということを疑問視せざるを得ない。そのようなぐらぐらな自分と違って、己の立脚点を疑わず、描くことに集中できる人たちが、うらやましかった。」
「まず油絵具とキャンバスというメディアを疑ってしまう、という感覚を共有しているところが、僕ら二人がこうして今ここに並んで座っている理由じゃないかと思うのですが、僕は、写真という、誰が撮っても写真は写真、というボーダレスな、20世紀的なメディアを使うようになり、さとる君は、機械刺繍(ミシンによる刺繍)というメディアを手にしたんじゃないかな」

「さとる君」の経歴や祖父への思いなどをあれこれ聞きだす森村氏。親子ほどの年齢差があり、また話す能力、美術家としての実績では雲泥の差がある二人だが、森村さんは敬意を失わず、上品に距離を保っていらっしゃる。(巨匠は本当に謙虚なんだなあと感心。)展示方法について「わかりやすすぎるんじゃないかな」と評されると、青山氏はあえてベタにしています、と対等な美術家として回答。入り口に掲げられた小さな油絵(小学校4年生のときの作品)は、自身の油絵キャリアの中のピークだと告白すると、非常にいい絵だと森村氏も絶賛。青山氏は、同級生にキュビズム風の絵を同級生に非難されて机に突っ伏して泣いて先生にも助けてもらえなかったり、家庭訪問した先生が「あいつの親父がヌードを描いていてエロだ」と同級生にいいふらしたりした、かなりつらい過去をお持ち。(日本の学校教員のレベルがひどすぎる)

青山氏の質問「モリエンナーレの序文で、昨今のビエンナーレやトリエンナーレを批判されているが現在の美術界をどう捉えているのか?」

「僕は古い考え方の人間かもしれないが、美術はひとりでコツコツやるものと思っている。自分、というものを差し出す手段は芸術しかない。それを表現と呼んでいる。表現を通じてコミュニケーションを図ろうとするタイプの人もいるが、むしろ、人はちょっとやそっとじゃわかりあえない、ディスコミュニケーションとして芸術はあると思う。そういう徹底して個人的な営みである美術であるのに、ビエンナーレはイベント化してしまっている。イベントは集客力が問われる。企業の商品開発や音楽産業のメジャー作品もそうだが、『みんなにわかるもの』を提供する、というときには絶対に『自分』というのは出さないようにしなくてはならない。1970年、大阪では万博があって、莫大な予算がつぎ込まれ、その『イベント』は確かに多くの人を集めたし、自分も非常に憧れた。でも、その予算に比して、圧倒的に小予算であろう三島由紀夫の同年のクーデター未遂(これは長い話になるが、三島の芸術活動だとする説がある)は、どれだけの訴求力、自分を『表現』する力があったか。そのようなことを思う」

これは今日急いで秋葉原で買ってきてもらった本だが、といって「名エッセイ」を1冊を取り上げられる。

『静かな奇譚 : 長谷川潾[リン]二郎画文集』求龍堂, 2010.3
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/8614004.html

この中に収められた「写生を見る人々」という、写生をしているときに通りすがった人々を逆観察したエッセイの一部分を読まれる。安保闘争(60年と70年のどちらかは不明と断られる)のデモ隊とそれを制圧するために輸送されている警察官の両方から「こいつはこんなときに写生なんかして何だ?」という視線を送られる、という個所。結論的なことはおっしゃらなかったが「この視線について、すごく考えさせられるんですよ」と言って終わられる。


常に自分の手を動かし、自分の言葉で考え、理解されて、しっかり着実に歩んでこられた方なんだなーと
ほんとに感動。
優しくて強い。
会場で質問できればしたかったのは、「作品にサインを入れる瞬間はかっこいい、きもちいいとのことだが、今の写真作品にもサインは入っているのか?」
「『若い時の自分に帰った』あとは、その次の作品はどうなるのか?」

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■『まねぶ美術史 森村泰昌モリエンナーレ』
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/20194598.html
会期:2010年7月17日(土)~9月5日(日)
会場:高松市美術館
概要:
美術作品との出会いが人の人生に大きな影響を与えるということが,しばしばおこります。特に,後年美術家を目指すことになった人の場合には,子供時代や学生時代に出会った美術作品からの影響は計り知れません。1951年生まれの森村泰昌もまた,若かりし頃、1960年代の日本の美術やその他の様々な当時の新しい美術の動向に触発され,制作活動に入った美術家です。森村は,画集などで新しいスタイルの表現を見つけると,いつもそのスタイルをまねて,自分自身の手になるドローイングや絵画作品を,習作として制作してきました。そしてそれら習作の数々は,大切に保管されてきました。本展では,こうした森村作の「ものまね習作」と,そのもとになったオリジナル作品(高松市美術館コレクションによる),およびそのオリジナル作品と出会った当時の森村の想い出を語るテキストの三要素をワンブロックとし、多数のこれらの基本ブロックを年代順に追って行くことで,森村の「私的な美術史」を20世紀の「公的な美術史」と対比させる形で浮かび上がらせます。また新作として、高松市美術館所蔵の田中敦子《電気服》を題材にした作品も発表します。名画の登場人物や女優などに扮した独自のセルフポートレートで国内外において高く評価され、現在は個展「なにものかへのレクイエム」の全国巡回により注目されている美術家・森村泰昌。マティス,クレー,デュシャン,岡本太郎,横尾忠則,赤瀬川原平・・・20世紀美術史を駆け抜けた巨匠たちを「まねぶ(学ぶとまねるの語源)」ことであらゆる表現の可能性を探求した,森村の知られざる作品群が一挙公開します。

■モリエンナーレとは? ― 森村泰昌の提言:
美術史を公的な一般論的なものとしてとらえるのではなく,私的な個人史との脈絡で語ることによって,等身大の美術史を見つけ出す。このことは,等身大をはるかに超えた規模で展開する昨今のビエンナーレやトリエンナーレとはまた異なる美術展および美術の見方の提案につながる可能性がある。美術についての個人的体験に軸足を置くことで語りうる「私美術史」の実現、これを,ビエンナーレやトリエンナーレをいささか皮肉るスタンスで,「モリエンナーレ」と称してみたい。

■「αMプロジェクト2010 複合回路 Vol.5 青山悟」展
第五回 青山悟 Satoru AOYAMA
「複合回路」接触領域  Complex Circuit - Contact Zone
キュレーター:高橋瑞木 Curated by Mizuki TAKAHASHI

青山悟:1973年東京都生まれ。1998年 Goldsmiths College, University of London, BA
Textiles, Visual Art Department。2001年 The School of the Art Institute
of Chicago, MFA Fiber and Material Study
Department。足踏みの工業用ミシンを用いて、風景、イコン、メディアに流通するイメージなどを精巧に刺繍する。ファインアートと工芸、手工業と機械工業、イマジネーションとアプロプリエーションといった二項対立の制度に自分の作品によって問いを投げかけながら作品を制作している。

高橋瑞木:早稲田大学大学院美術史専攻、ロンドン大学SOASでMA修了後、森美術館準備室勤務。2003年より水戸芸術館現代美術センターにて学芸員として勤務。主な担当展覧会に「アーキグラムの実験建築1961-1974」、「ライフ」、「KITA!!
Japanese Artists Meet Indonesia」(インドネシア)、「Julian Opie」など。

会期:2010年11月13日(土) ~12月18日(土)
11:00−19:00 日月祝休・入場無料
■トークイベント 青山悟 x 森村泰昌(美術家)
日時:2010年12月8日(水)19時~21時
定員:50名(要予約)
参加費:無料
会場:gallery αM
都営新宿線[馬喰横山]A1出口より徒歩2分
住所/連絡先
〒101-0031
東京都千代田区東神田1-2-11アガタ竹澤ビルB1F
tel: 03-5829-9109
fax: 03-5829-9166
e-mail: alpham@musabi.ac.jp
開廊日:火-土 11:00-19:00 日月祝 休
■高橋瑞木さんによる、展覧会の説明文:
「反発と共感の歯車」:
青山龍水(1905~1998)、洋画家。絵を描くことがこの上ない喜びだった青年時代、彼は画家を夢見た。しかし寺の養子だったため、将来は僧侶になることが既に約束されていた。だが、画家への道を諦めることができず、育ての親に無断で東京芸術大学の前身である東京美術学校を受験し、合格。画家への一歩を踏み出す。第二次世界大戦中は従軍画家として戦地に赴き、風景画を制作。戦後は二科会会員として活躍。とりわけ愛らしい顔の少女が登場する作品群が「抒情的」と評価された。

青山悟(1973~)。現代美術家。幼いころから祖父が描いた洋画に囲まれた環境で育つ。高校からロンドンに渡り、90年代にダミアン・ハーストを始め、多くの現代美術家を輩出したロンドン大学ゴールドスミスカレッジに入学。テキスタイル学科に入り、女性の学生が大多数を占めるなかアジア人の男性というマイノリティとして、織物、編み物、刺繍を学ぶ。その後アメリカのシカゴに渡り、シカゴ美術館附属美術大学で修士をおさめる。2000年代初頭に工業用ミシンによる刺繍で友人や家族といった身近な人々のポートレートや、身の回りの風景を制作し、注目を浴びた。最近は社会主義者でありアーツ・アンド・クラフト運動の提唱者のウィリアム・モリスの言葉を引用しながら、高度資本主義社会における芸術の可能性を模索している。

戦争を境に心象風景を描くことに没頭した画壇所属の祖父。グローバル経済の危機の時代に芸術家の役割を問いかける、西洋で美術教育を受けた孫。異なる時間軸に正反対の道を歩むふたりが、芸術という共通項を合わせ鏡に対面するとき、反発と共感の歯車がゆっくりと回転を始める。

■gallery αMについて
αMのαは「未知数」をあらわし、Mは武蔵野美術大学の頭文字をとって名付けられました。
1988年に吉祥寺に開設された「ギャラリーαM」は、現代美術に主眼を置き、新人発掘とその発表の場として企画展を開催してきましたが、2002年3月に惜しまれつつも閉廊しました。美術に対する社会的受け皿が十分ではなかった状況下で、その名前が示すとおり一歩先へ視線を広げたラディカルな活動を行っており、当時の記録や展示作家の活躍の様子から、日本の現代美術を少なからず支えてきたことがうかがえます。2002年からは、本学芸術文化学科の学生が主体となって運営する「αMプロジェクト」として、特定のスペースを持たずに展覧会活動を行い、吉祥寺時代から現在に至るまでの20年間において、15名のゲスト・キュレーターによる計157回もの企画展を開催してきました。このような形で活動してきたことは、商業活動を優先して行われる他の美術活動と異なり、美術の制度そのものを基盤から支えるような社会的意義の高いものではないかと考えています。

■αM 20年の歩み
近現代における美術史的評価の組み替えなど、大きく揺れ動いている世界のアートシーンや、多くの価値観が同時に存在し、大きなうねりの中で多様性を維持できているヨーロッパの状況に比べると、日本においては様々な局面での人材とそれらを有機的につなぐ場が不足していると言わざるをえません。また経済状況に影響されがちなアートシーンにおいて、大学が非営利で運営するギャラリーは、一定の質を保った人材と場を生みだし、日本美術独自の役割とその位置づけの形成を担っていると言えるでしょう。
「gallery αM」は、これまでの活動の趣旨を継続させながら、ジャンルを問わず質の高い表現と可能性を有するアーティストに作品発表の機会を提供すること、社会に斬新な価値を発信できるキュレーターに展示企画の場を提供すること、の2点をコンセプトとして、新しい空間による新しい歴史を築いていきたいと考えています。ギャラリー運営は本学教員により構成される運営委員会があたりますが、キュレーションについては、運営委員会が選定するゲスト・キュレーターに、1~2年の任期で年間5~7回程度の展示企画をお願いする予定です。アートシーンの活性化につながる社会的インパクトを持った活動を行い、批評を生成する場となることを目指していきます。

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