【名】
浅瀬{あさせ}◆通例shallows
【形】
1. 〔物理的{ぶつりてき}に〕浅い、奥行きのない◆【反】deep
2. 〔人(の言動{げんどう})が〕浅はかな、浅薄{せんぱく}な
3. 〔議論{ぎろん}などが〕底の浅い
本書の中の印象的な言葉を抜き出してみよう。
* (マクルーハンが言うように)長期的に見れば、われわれの思考や行動に影響を与えるのは、メディアの伝える内容よりも、むしろメディア自体である。(p.11)
* わたしはいま、以前とは違う方法で思考している。(略)かつては当たり前にできていた深い読みが、いまでは苦労をともなうものになっている。(p.16)
* (タイプライターのユーザーであったニーチェの言葉)「執筆の道具は、われわれの思考に参加するのです」(p.36)
* (脳の可塑性に触れ)神経学的に言えばわれわれは、自分の考えるものへと変化するのだ。(p.54)
* テクノロジー決定論と、道具主義者(インストゥルメンタリスト)の論争。(p.72)
* ハイパーリンクは、われわれの注意を惹くようデザインされている。そのナヴィゲーション・ツールとしての有用性は、それが引き起こす注意散漫状態と切り離せない。(p.130)
* ツイッターなどのマイクロブログ・サーヴィスを用いて神からのメッセージを交換するために、ラップトップやスマートフォンを礼拝に持ち込むよう勧めるアメリカの教会も増えている。(p.139)
* 精神に変化を与えるテクノロジーのなかで、アルファベットと数字を除けば、ネットは最も強力なものである。どう少なく見積もっても、書籍以降に登場したテクノロジーのなかで最も強力なものであうと言えるだろう。(p.165)
* (ラリー・ペイジの言葉)グーグルの究極ヴァージョンは、人工知能になるでしょう。(p.238)
* (サーゲイ・ブリンの言葉)世界中の情報を自分の脳に直接貼り付けたら、あるいは、自分の脳よりもスマートな人工脳をもつことができたら、ヒトは間違いなくいまよりよくなります。(p.238)
* ウェブは、忘却のテクノロジーである。(p.266)
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毎日新聞 2010年8月22日 東京朝刊
今週の本棚:養老孟司・評 『ネット・バカ』=ニコラス・G・カー著(篠儀直子訳)(青土社・2310円)
◇脳が道具を作り、道具が脳を変える
当然のことだが、著者はネットを使うとバカになるとか、それはどういう種類のバカなのかとか、そんなことを書いているのではない。著者自身、この本を書くために集中しなければならなかったから、ボストン郊外からケータイの通じないコロラドの山中に引っ越した。ツイッターもやめたし、ブログもやめた。そうしないと、本が書けなかったからである。むろん書くだけではない。読むという面からすれば、ネットを常用していると「深い読み」ができなくなる。それは著者だけの体験ではない。
ネットという知的な道具は、われわれの脳を変える。しかしいったいどう変えるのか、その結果、社会にどういう影響を及ぼすか、本書の主題はそれである。もともと著者の専門は英文学ということだが、脳科学や心理学にまでわたって、きちんと解説している。
全体は十章で、一章は著者のネットに関する履歴の紹介、二章は脳の可塑性である。脳は活動によってたえず変化している。「思考は脳に物理的影響を及ぼす」。特定の知的活動をやめれば、それに関(かか)わっていた脳の部分は、別な活動に乗っ取られる。脳の中はいわば「多忙者生存」である。
三・四章は古くからの知的テクノロジー、つまり文字と本とが人に与えた影響を扱う。グーテンベルクの発明の後に、なにが起こったのか。たとえば英語の語数は千から百万の単位に跳ね上がったという。五章はネットと従来の印刷物の関係である。六章はネットによって本がどう変化し、どう変化するだろうかを語る。
七章がネットによる脳の変化を総説する。脳の可塑性に関する現在の知識からすれば、脳の回路と機能を強力かつ急速に変化させる刺激とは、まさにネットが供給する刺激なのである。好むと好まざるとに関わらず、ネットに触れればしばしばネット漬けになる。この刺激はおそらくたいへんに強いから、脳の他機能を押しのけてしまうかもしれない。
ネット使用者の脳は、読書の時よりも広範に活動している。それなら高齢者が脳活動を活発に保つには、とくに有益かもしれない。ただし脳を広く使うことが、本当にいいかどうか、話は簡単ではない。たとえば高齢者は歩くときにも若い人より大脳をよく使っている。筋が弱って、従来の動きではうまくいかないから、頭を使わざるをえない。それで上手に歩けるかといえば、そうではない。
ネットを使うと、決定や問題解決を行う前頭前野がよく活動する。ところがそのこと自体が、今度は深い読みなど、集中を持続する必要のある機能の邪魔になってしまう。読書は脳をネットより少なく刺激する。「注意散漫を除去し、前頭葉の問題解決機能を鎮める」から、「熟練した読書家の頭脳は落ち着いた頭脳であり、騒々しい頭脳ではない」。むしろ「より多くの情報は、より少ない思考活動につながる」可能性がある。
八章ではグーグルが対象となる。書き出しは産業革命の哲学者というべきフレドリック・テイラーである。テイラーの考えた「システム」は効率第一だった。だから工業生産はいまでもそうなっている。そしていまは「コンピュータ・エンジニアやソフトウェア作成者の力が増大しつつあるため、テイラーの倫理は、精神の領域をも支配しはじめている」。グーグルの本部は「インターネットの高教会である。その内部で執り行われている宗教はテイラー主義」なのである。それはデータ第一主義であり、すべてを量に換算し、数値の世界に生きる。人の思考と労働の最初のゴールは効率であり、人の判断は曖昧(あいまい)で信用できず、技術的計算のほうが勝り、計量できないものは存在しないか、無価値である。
グーグルの究極の目標は人工知能である。人工知能によってわれわれの現在の脳を補完すれば、人は間違いなくいまよりよくなる。グーグルの創業者たちはそう語った。これに対して著者の結論はこうである。「憂慮すべき点は、人間を上回る思考能力を持った、驚異的にクールな機械を作りたいという彼らの少年のような欲望ではなく、そのような欲望を生み出した、人間の精神についての彼らの偏狭なイメージなのである」
九章は記憶を扱う。「コンピュータに記憶を預ける」、アウトソーシングするというのは、よくいわれる。しかしこれは記憶とその脳機構を知れば、成り立たないとわかる。われわれの記憶と、コンピュータに蓄積されるデータは違うに決まっている。記憶は変化する脳に合わせて絶えず変化している。
最終章は結論である。「ソフトウェアが賢くなれば、ユーザーはバカになる」。じつはそれはだれでも知っているはずである。道具を丈夫にすれば、人間が壊れる。学生実習に壊れにくい、つまり丈夫な機械を使っていると、学生の機械の扱いが荒くなる。「われわれは道具を作る。そしてそののち、道具がわれわれを作る」
ネットは脳を大きく変える。それにどう対処するか、それはネット使用者すべてに与えられた重い課題なのである。
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