http://www.mynewsjapan.com/reports/1291
ケータイ電話やケータイ基地局の電磁波の安全性や技術の研究につぎ込まれている莫大な「総務省マネー」。このカネは、大学から、公益法人、業界団体、さらにはKDDIなどの電話会社にも億単位の規模で注ぎ込まれているが、自らの安全性についての研究を自ら行うという、中立な第3者によるものとは到底言えないメンバー構成になっている。しかもカネの使途は不透明で、福島医科大学では領収書が存在しない「間接経費」500万円の存在が明らかになった。生活者不在のまま、産・学・官が一体となって推進する日本の電波政策を探ると、電話会社や総務省が繰り返す電磁波「安全宣言」の危うさが浮上する。
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上の記事を読んで、頼りになると思った科学者
荻野晃也[オギノコウヤ]1940年富山県生まれ。元京都大学工学部講師。理学博士。原子核物理、原子核工学、放射線計測学などを専門とする一方で、原子力、核問題、環境問題などにも物理学者としてかかわっている。
■著書一覧
   1.
	タイトル 	危ない携帯電話 : それでもあなたは使うの?
	シリーズ名 	プロブレムQ&A
	出版者 	緑風出版‖リョクフウ シュッパン
	出版年 	2007.11
   2. 	
	タイトル 	健康を脅かす電磁波
	出版者 	緑風出版‖リョクフウ シュッパン
	出版年 	2007.5
   3. 	
	タイトル 	携帯電話タワー周辺に及ぼす電磁波の健康影響 : 中継基地局裁判に対する意見書
	出版者 	中継塔問題を考える九州ネットワーク‖チュウケイトウ モンダイ オ カンガエル キュウシュウ ネットワーク
	出版年 	2005.8
   4. 	
	タイトル 	電磁波汚染と健康
	出版者 	緑風出版‖リョクフウ シュッパン
	出版年 	2004.5
   5. 	
	タイトル 	危ない携帯電話 : それでもあなたは使うの?
	シリーズ名 	プロブレムQ&A
	出版者 	緑風出版
	出版年 	2002.10
   6. 	
	タイトル 	ザルツブルク国際会議議事録 : 携帯電話基地局の健康影響に関する研究
	内容細目 	高周波・マイクロ波被曝環境における健康問題 / Michael Kundi述
	内容細目 	携帯電話タワー計測結果と安全基準の推算 / Yuri Grigoriev述
	内容細目 	スウェーデンにおける携帯電話および基地局からのマイクロ波被曝 / Yngve Hamnerius,Thomas Uddmar述
	内容細目 	超低周波(ELF)電磁場と高周波(RF)電磁場に誘導されるカルシウムイオン活性の変化 / Carl F.Blackman述
	内容細目 	耳と聴覚障害、騒音、睡眠障害に関する調査 / Wilhelm Mosgoller,Michael Kundi述
	内容細目 	無線データ・通信による高周波・マイクロ波被曝の研究の概観 / Cindy Sage述
	内容細目 	地域の基地局に関連して予想される健康障害 / Neil Cherry述
	内容細目 	10年間の短波放送局近隣での疫学調査を経て / Ekkehardt Altpeterほか述
	内容細目 	アメリカ合衆国におけるマイクロ波への市民の関心 / Louis Slesin述
	内容細目 	通信基地に起因すると思われる健康影響 / Neil Cherry述
	内容細目 	携帯タワーアンテナ設置における「慎重なる回避」政策の実行 / Ronald Macfarlane述
	内容細目 	携帯電話ならびに携帯基地局に対する予防的アプローチの必要性 / Helene Irvine述
	内容細目 	携帯電話基地局に関するザルツブルク決議
	出版者 	ガウスネット‖ガウス ネット
	出版年 	2001.06
   7. 	
	タイトル 	携帯電話 : その電磁波は安全か
	出版者 	集英社
	出版年 	2001.11
   8. 	
	タイトル 	電力線電磁場被曝 : 隠蔽する電力会社と政府
	出版者 	緑風出版
	出版年 	2001.11
   9. 	
	タイトル 	死の電流
	出版者 	緑風出版
	出版年 	1999.3
  10. 	
	タイトル 	ガンと電磁波
	出版者 	技術と人間
	出版年 	1995.10
  11. 	
	タイトル 	あなたを脅かす電磁波 : ガンから身を守るために
	シリーズ名 	Space E books ; 2
	出版者 	法政出版
	出版年 	1995.12
■年譜
    * 1958.4     京大理学部へ入学(1回生は宇治構内)。京大原子炉の予定地は、宇治構内近くから高槻へ変更予定に。その後、熊取に決定する。
    * 1958?
京大原子炉実験所の建設事務所で短期間アルバイト(岡本朴さんの指導:炉心コンクリートの放射化の計算に従事)。警職法反対闘争から安保闘争へ。
    * 1964.3
京大理学部原子核物理学専攻・修士課程終了:修士論文「原子核のアルファ・クラスター構造の研究」。京大原子炉実験所か工学部原子核工学教室か迷った末、工学部で助手に(重イオン加速器・建設)
    * 1965〜    180°散乱断面積の測定を開始。
    * 1965        愛媛県津島町尻貝地区が原発予定地に:反対が強く四電は断念。
    * 1967        徳島県海南町が原発予定地に:漁協の反対が強く、伊方町が誘致運動。
    * 1969.1      東大・日大の大学闘争が京大にも飛び火(寮問題が中心)
    * 1969.1.21〜23 京大:「狂気の3日間」(京大当局と共産党系による「逆バリケート」、封鎖されていた学生部のバリケートをも撤去)
    * 1969.1.31  「大学改革の討論のよびかけ」の声明文:京大教官研究集会有志(湯川秀樹を含む有名教官45人)。声明文に疑問を感ずる。
    * 1969.3.19  京大職員組合大会で批判ビラを撒いて、退会宣言。
    * 1969.春   学生・院生からつるし上げ(?)
    * 1969.春?  「全国の原子力研究者(若手)間での交流の必要性がある」と、東大原子力工学科へ行くことになる(当時、バリケートで自主管理中):京大からの提案は、「何らかの連合体を作ろう」「原子力三原則すら無視しているウラン濃縮研究者を原子力学会で追求しよう」など。向坊教室主任の部屋で相談:東大は五人ほど?東京工大からも一人参加。
    * 1969.7.8   四国電力が伊方町に原発建設計画を発表。
    * 1969.7.21  アポロ11号で人類月面到着。
    * 1969.7     全国原子力科学者連合(全原連)の第1回合宿。
    * 1969.7.28  伊方町議会が原発誘致推進決議。
    * 1969.8.5   「大学臨時措置法」の実施に反対し、同法に関する政府・文部省への協力拒否の「決意表明」に京大教官817名の一人とし参加。
    * 1969.9     助講層の要請もあって、原子核工学教室会議へ助手層全員も参加する。
    * 1969.9.30  伊方原発用地地主(約125名)中110名が四電と土地売買仮契約完了。
    * 1969.11.1
原子力学会(東北大学)で学会体質に抗議し、その場で「全国原子力科学者連合(全原連)」の結成を宣言、ビラ配布。「既成の学会秩序を再検討せよ!」「原子力開発は誰のためにするのか!」の見出し。
    * 1969.10.13
伊方原発誘致反対共闘委員会(共闘委)が結成される(委員長:川口寛之・元町長)。井田与之平・元町長(委員長の兄):賛成派から変わる。
    * 1970
全原連(東大・京大・東北大・東工大・名大、阪大・九大):地域活動を本格化(東大・東工大支部:BWR中心で水戸・柏崎・浜岡など、京大支部:PWR中心で大飯・日生・伊方・阿南・熊野などで、特に日生、伊方が中心となる):スライド問題、セクト問題。
    * 1970.2.25  教室会議の選挙で補導委員に選出されるも、工学部長の要請で撤回。
    * 1970.3.14  大阪で万国博開催。「人類の進歩と調和」がテーマ:原発からの電気で明かり。
    * 1970.5.7   伊方共闘委の機材陸揚げ阻止の実力闘争。
    * 1970.6.28  工学部改革委員会の助手層代表(5人)の一人に選出される。
    * 1970.8.1   発起人7名による、株式会社「ロシナンテ社」設立趣意書。
    *    8.8   立川市で、第1回「地域闘争全国シンポジュウム」開催。
    * 1970.9.21  四国電力が伊方原発の設置を正式に決定。
    * 1970.12.21 井田与之平さんらのバリケードが強制撤去(仮処分命令で)。
    * 1970.12.26 町見漁協が四電に対し漁業権放棄決議。
    * 1971.2     全原連・原発問題資料1:「原子力の開発とその現状(東大教授・都甲泰正、原子力と地域開発(東北大教授・江草龍男)」
    * 1971.4.10  雑誌「自主講座」(編集代表:宇井純)が創刊される。
    * 1971.5     全原連・原発問題資料2:「スターングラス警告」
    * 1971.6.30  イタイイタイ病第1次訴訟(富山地裁)で患者側が全面勝訴(4大公害訴訟で最初の判決)。
    * 1971.7     全原連・原発問題資料3:「ゴフマン・タンプリン証言」
    * 1971.7
全原連の全国行脚:北回りと南廻り。小浜市で合流し第3回合宿(直前になって宿泊を断わられる。2日目から会場を変更する条件で認めてもらう)。
    * 1971.10    全原連・原発問題資料4:「全原連全国行脚隊報告」
    * 1971.12    全原連・原発問題資料5:「科学者からの原発狂時代への警告」
    * 1972.3.12  「おらびだし」創刊(関西労学共闘会議+愛大共闘委員会+松山地区協議会=「(伊方)現闘団」だが、中心は「京大伊方共闘」)
    * 1972.4.15  「地域闘争5月号」特集:民の叫び・伊方原発反対の怒り。井田与之平さん(奥さんを離縁中)の寄稿「伊方の自然と人を守れ」。
    * 1972.5.27  全国自然保護連合・奈良大会で、「瀬戸内海に原発を建設する事に反対」して、伊方労学を中心に大石環境庁長官(初代)を追求。
    * 1972.7     大飯町で町主催の原子力発電所の説明会。講師は阪大教授。住民に混じって講師を追求。住民の関電社員も町を批判。
    * 1972.8     北海道・岩内町で「原子力発電と漁業」(第1回原子力発電問題シンポジュウム)。主催:日本科学者会議
    * 1972.8.27  三室戸寺会館で「京滋バイパス反対住民集会」。京滋バイパス反対戦川地区協議会・公害部長として、予想される騒音について報告。
    * 1972.11.28 伊方原発認可される。
    * 1972.12.8
日本学術会議・原子力問題特別委員会(委員長:三宅泰雄)主催の「第1回原子力問題シンポジウム—原子力発電の安全について—」が開催される。共産党系学者と原産会議との野合シンポジウム?
    * 1972.12    全原連・原発問題資料6:「原発における緊急炉心冷却系の問題点」
    * 1973.1.27  伊方周辺住民が「伊方原発設置許可」に対し「異議申立」を行う。
    * 1973.3.31  「伊方ノート(週刊)」発刊。61号(?)まで週刊で発行。
    * 1973.5.3   井田与之平さんがビラ配布:「皆さん!!聞いて下さい!!妻が自殺した真相はこうなのだ!!」
    * 1973.5.11  「X線の'無差別照射'に関する公開質問状」を京大当局へ(全原連・京大病院診療問題研究会・毒物タレ流しを糾弾する会)。
    * 1973.5.15  京大保健管理センターの回答が京都新聞に大きく報道される:「無差別照射せぬ」「人体の影響考え」「年1回に疑問出る」の見出し。
    * 1973.5.16  原研より原水禁へ、「原子力施設の事故」複製出版に対する禁止の通告。出版部数・配布先などの報告を要求。全原連は原水禁へ返却?
    * 1973.5.19  浜坂火力・原子力発電所設置反対町民協議会メンバー4人が全原連・京大支部へ。徹夜で資料をコピー。
    * 1973.7     タンプリン博士(米国)が来日し、各地で講演(原水禁の招待)。
    * 1973.8.3
京大でタンプリン講演会:「微量放射線とその影響」(主催:全原連・京大病院診療問題研究会・京大医学部2回生カリキュラム委員会)。京大で取り組んでいるX線集団撮影問題をもキャンペーン。
    * 1973.8.24
福井県小浜市で「原子力発電所の集中化と環境破壊」(原子力発電問題若狭シンポジュウム)。主催:日本科学者会議+原発反対若狭湾共闘会議。
    * 1973.8.27  伊方周辺住民が原発許可取消と執行停止の行政訴訟。
    * 1973.10    浜坂反対町民協議会研究部:「生存をおびやかす原子力発電所:1」を出版。
    * 1973.12.20 伊方原発訴訟の初公判。傍聴券をもらって入る(その後、弁護補佐人になる)。
    * 1974.4.15  岩佐訴訟の提訴(大阪地裁)。前日に各地(福井県、滋賀県の北陸線、小浜線の駅周辺を中心に)でビラまき。
    * 1974.5.27  「伊方ノート(週刊)」61号で終刊。
    * 1974.7.10  岩佐訴訟・初公判。前日に各地(福井県・滋賀県など)でビラまき。
    * 1974.9末   NHK朝の連続ドラマ「鳩子の海」で原研が登場。鳩子:被爆2世。
    * 1974.10.21 昭和天皇・皇后が原研・東海研究所を視察。
    * 1975       「身の回りの放射線」の学習会で、「電磁波も放射線の仲間ですよ」と話す。
    * 1975.6.20  「原子力資料・情報室(代表:武谷三男)」設立の呼びかけ(武谷三男・久米三四郎・井上啓)。原水禁事務所の上の5階。
    * 1975.8.24
京都で「反原発全国集会」(浜坂・熊野・柏崎が中心。京大が事務局担当。直前に推進側が出席撤回:荻野・小泉が推進側になって模擬討論)。
    * 1975.10.18 原水禁からの依頼のビキニの被曝評価報告(コンクリートで推定:1.5Rem/y)。
    * 1975.12  (荻野:狭山事件「筆圧痕」の鑑定書を作成)
    * 1976.7?   原子力技術研究会「原子力発電における安全上の諸問題」全4巻を出版。
    * 1978.8.6   静岡県浜岡町文化センター:荻野講演会「地震と原発」(第2回住民講座)。主催:浜岡原発に反対する住民の会(参加者は僅かだった)。
    * 1979.3.28 米国・TMI原発事故。
    * 1979.7     第三書館より「原発の安全上欠陥」(原子力技術研究会)を出版。
    * 1979.10    TMI事故調査の為に米国へ。ワルトハイマー論文を知る。
    * 1981.3.30  岩佐訴訟(大阪地裁)が敗訴。
    * 1981.9.4
大阪府原子炉問題審議会・安全専門部会(委員長:音在清輝・阪大教授)が、「京大2号炉の安全性は確保されている」との答申。この後、敦賀原発事故と事故隠しなどの影響もあって、熊取町住民の反対も強く京大2号炉計画は頓挫。
    * 1984.7.18  共産党機関誌「赤旗」紙上に、伊方原発行政訴訟弁護団弁護士9人に対する謝罪文が掲載される。
    * 1985.      伊方原発訴訟が高裁でも敗訴:最高裁へ。
    * 1985.11    (荻野:博士論文提出)
    * 1986.4.26  ソ連・チェルノブイリ事故。
    * 1986.10    「シマンスキー氏講演会」。荻野の役割:「アウシュヴィッツ年表」作成と「アンネのバラ」の準備。
    * 1988.1     「アウシュヴィッツ(ナチス)関連年表」冊子を出版。
    * 1988.1.25  伊方原発調整運転反対で大デモ(高松市)(大分の「原発なしで暮らしたい」などの呼びかけ)。
    * 1988.      「週刊現代」が電磁波の危険性を指摘する荻野のコメントを掲載。
    * 1989.3.24  朝日新聞に「試験管内で核融合」「米英2学者が成功」「英紙報道」
    * 1989.11    ピースボート世界一周「地球環境調査」に参加。
    * 1991.6.30  「関西電力・美浜2号原子力発電所・蒸気発生器細管破断事故に関する調査研究」(環境データ)を出版。
    * 1992.6     「地球はまだ青いだろうか」(第三書館)をブラジルの環境サミットに合わせて出版)。
    * 1993.5     甲府市で「高圧線問題全国ネットワーク」結成される。
    * 1993.11    「進歩と改革」11月号に電磁波問題特集。荻野「電磁波の人体に及ぼす影響」。各地の運動の紹介も。
    * 1994.1     「技術と人間」1・2月号から「電磁波公害物語」の連載開始。
    * 1994.6.4   瀬尾健さん逝去。
    * 1995.1.17  兵庫県南部地震(M=7.9)発生。
    * 1995.6.10  「技術と人間」社より「ガンと電磁波」を出版。
    * 1999.9.30  東海村JCOで再臨界事故が発生。
    * 2000.3     今中哲二さんに案内されて、チェルノブイリ原発へ。
    * 2000.12.20 JT(日本たばこ)医薬研究所の研究員がJR高槻駅構内で放射性物質をまく。
    * 2003.3.31  京都大学を定年退官。「電磁波環境研究所」を立ち上げ。
